公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

有機合成化学は今後どうあるべきか
吉田 善一


 有機合成化学協会が今年創立50周年を迎えるに至ったことを心から祝福したい。本協会はわが国の戦況が極めて厳しかった昭和17年に創立された。これはこのような時代にも,いやこのような時代だからこそ有機合成化学の重要性が痛切に認識されたためであろう。その後,幾多の苦難を経たものの,わが国の有機合成化学および工業の発展と共に本協会も発展し,今年50才を迎えたわけである。

 この機会に先人の英知と努力に感謝すると共に,来るべき新世紀に向け,本協会のあるべき姿を明確にする必要があろう。その上に立って,国際的観点から何をやるべきかを考えるべきではないだろうか。

 この際協会や研究者にとって最も重要なことは今後の合成化学の捉え方である。課題を大幅に絞って述べることにしたい。化学はしばしば成熟科学と呼ばれる。Natureの編集長Maddoxに至っては“化学は主体性を失っており,1985年のノーベル化学賞を2人の数学者に取られた”と極言している。では化学,とくに合成化学は成熟科学なのか? 筆者の答えはNoである。その理由は化学,なかでも合成化学は物質や反応を創造する学問であるからである。従って,将来に亘り大きなインパクトを与えうる画期的な新物質,新反応の創出を目指すべきである。サッカーボール炭素(C60)や,抗体触媒の発見はその例である。

 前者を例にとり,少し述べることにしたい。筆者らがサッカーボール炭素を世界で最初に予言したのは1970年であるが,この構造はヒュッケル則に囚われることなく,π電子の3次元的非局在化を考えようとして創出したものである。1990年グラファイトのアーク放電により,生ずるススからC60が得られるようになり,ダイヤモンドやグラファイト(これらは分子ではない)と全く違った炭素分子として注目され,とくに1991年4月以来ドーピングによる超電導や強磁性の発現等瞠目すべき成果が毎週のようにNature,Science等に報じられるにおよびC60の特異な挙動に世界の科学者のみならず一般社会(例えば,New York Times 1991年8月26日号)までが興奮の渦に巻き込まれるようになった。これ程大きなインパクトを社会に与えた分子はこれまで無かった。この分子は60π系であるが芳香族性をもつ,しかし親電子反応はしない,強力な電子受容体である,といったことが分かっているが,化学的にはまだ殆ど分かっていないというのが実情である。とくに,革新的合成法の確立,反応性,物性,機能,触媒作用,金属内包体,他原子との共クラスター等合成化学者が解決しなければならない課題が山積しており,今後とも大発明,大発見が続くであろう。ここでC60について若干具体的に述べたのは合成化学には科学技術上はもとより,社会的にも大きなインパクトを与えうる未開の分野がまだまだあることを例示したかったからに他ならない。

 新物質創成と共に合成化学上重要な柱は新反応の創出である。現在この分野では有機金属を用いる新手法の創出が脚光を浴びており,わが国のこの分野への貢献は極めて高い。しかし,現在高選択性発現のコンセプトは出つくしており,精密有機合成とはいうものの選択性,収率共に生体系を超えるものはない。さらに,洪水のように出てくる研究論文は新手法というものの眞の新反応ではなく技術的改良論文が殆どである。今後画期的発明,発見がなされない限り,この分野もやがて成熟科学への道を辿らざるを得なくなるのではあるまいか。

 化学者は既成の学問分野に安住したがる。とくに農耕民族であるわが国でその傾向が強い。今後わが国の合成化学者に求められるものは世界の誰もが手をつけていない未知の分野への挑戦である。筆者は1949年来この道で選び新物質創成や機能合成に挑戦してきた。その経験に徹してもこれは極めて厳しい道であるが,今後わが国の合成化学が世界を先導するために避けられない道である。19世紀にはドイツを中心とした西欧が芳香族化学という未知の世界に挑戦し,合成染料,医薬の発明,発見により19世紀を彼らの時代とした。20世紀にはアメリカが高分子合成,精密合成に挑戦し,20世紀をアメリカの時代にした。いよいよ21世紀である。わが国の合成化学者,とくに若手研究者が世紀に亘り大きなインパクトを与える未知分野に挑戦し,21世紀を是非とも日本の時代にしてほしい。


(平成3年9月20日受理)
ページ更新日
2012年4月23日