公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

独創性のすすめ
戸田 芙三夫


 日本の科学,技術の著しい進歩が国際的に認められる今日, ひところ華やかだった「日本人に独創性はあるか」の命題はもう引っ込んでしまったと思われる。しかし,地理的,歴史的事情から,日本が独創性を尊重する気風に富む社会で無い時代が長かったことは確かである。「前例がない」と言う理由は,新しい提案を封じ込める場合に多くの人達の賛同を得易いし,独創性を強調する発言は敬遠される気風も未だ残っているような気がする。

 扇状地の傾斜面に水を引いた水田で稲作を行う農耕民には新しい奇抜な発想は必要なかったかも知れない。いやむしろ,高所から順に水を落として水田耕作する場合には,個人の新規な発想で米以外の作物を勝手に植え付けるなどの変わった振舞いは排除されたであろう。完璧な社会規範で人々を一定の枠内に押し込め,個人の新しい発想を封じ込めた江戸時代も,日本に独創性を尊重する気風を根付かせなかった原因とも考えられる。家康に始まる独創的な指導者が作り出したユニークなこの時代に生れ,世界に影響を及ぼした日本独自の文化は絵画とわずかな文学以外にはほとんど何も無いとも言われる。

 日本に限らず,「独創性」は歴史的にも苦難の道を歩んでいる。ガリレオの「地動説」のような宗教的な問題の関わるものは別として,パスツールの「光学異性体のつまみ分け」の話など,人は自ずと思考の範囲に壁を作り,知らず知らずの内に,独創性をさえぎる立場にも立つものである。炭素が正四面体構造をとり,その結果光学異性体が生成することを提唱したノーベル賞第1号受賞者のvan’t Hoffが,パスツールの光学異性体分離の結果を簡単に理解し得なかった逸話も,このような人間性を物語っているようで興味深い。いやむしろ光学異性体の存在を提唱した本人であったからこそ,化学的、物理的性質が同じである光学異性体を「つまみ分け」などで分離できる筈が無いという先入観があったためであろう。

 環境変化によって生存が困難になるか,遺伝子が損傷されるなどの特殊な条件下でない限り,変化を嫌い,種の保存を命題とする生物の1種である人類にとって,独創性の発揮はむしろ異常な行為かも知れない。もしこの考えが当たっているならば,本来人類が得意としない「独創性」を発揮させるためには,積極的に独創性を尊重する気風を育てる教育,即ち,「独創性のすすめ」が必要であろう。特に大学や大学院の教育でこの問題を意識して取り上げることが大切である。このような教育も若い柔軟な頭脳に施すのが効果的であり,大先述の体験を交えた教育は,斬新な発想ができる人材を育てるものと期待される。

 著者も,このような「独創性のすすめ」の講義を聴き,独創性をたいへん意識する訓練を受けた経験がある。昭和30年過ぎまで阪大理学部で無機化学を担当された槌田龍太郎先生の,無機化学の講義そっちのけでのしつこいばかりの「独創性のすすめ」に圧倒され,創造性を強く意識することを脳にインプットされた学生の1人である。槌田先生御自身の体験談,それも独創的であるが故に被った国内外での不都合や不利益の生々しい話を交えた「独創論」は若い学生の白紙の頭脳を強烈に染め抜いた気がする。槌田先生にまつわる当時の思い出をこのように語る人々が数多くいることも,「独創論」の教育が極めて強い影響力を持ち,かついかに価値が高いかを物語るものである。日本の優れた錯体化学者の多くが槌田門下から輩出したことも,このことと無縁ではないであろう。槌田先生はまた,この「独創性のすすめ」を阪大工学部や他の多くの大学で講義されているほか,新聞・雑誌・テレビなどを通して広く世間にも訴えられ,その影響力は計り知れないものがある。また,先生の独創論の集大成,「槌田龍太郎の意見」と言う著書を通して,若い世代に「独創性の大切さ」を今も訴え続けておられる。日本の有機化学の分野に世界をリードしている極めて著名な方々が数多くいることは,国の内外ともに認めているところである。このような方々が,声を大にして「独創性のすすめ」を大学や社会で積極的に提唱していただくよう願うものである。

 文部省も最近,「大学の自己評価」の方針を打ち出した。「独創性」を教育し,世界の化学に貢献する若い世代をいかに教育していくか,著者なりに自己評価で苦しんでいるところである。


(平成4年1月20日受理)
ページ更新日
2012年4月23日