公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

ロビンソンの贈物
杉野目 浩


 昨年,科学雑誌“Endeavour”編集長のT. Williamsによるロビンソン卿の伝記がオックスフォード大学出版局から刊行された。もっとも,今の大学院生,二十代,三十代の若い研究者の方々にとっては,この20世紀の有機化学の巨星もすでに「ロビンソン?」という時代になっている。それほど有機合成化学は大きな発展を遂げたということであろう。従って,まずロビンソンに関するキーワードを記す。オックスフォード大学教授,ノーベル賞受賞者,英国5大学の教授を歴任(26歳で教授就任),20世紀有機合成化学のパイオニア,有機電子論の創始者,レトロシンセシズ,バイオミメティック合成の創始者,トロピノンの一段階合成,ロビンソン・アネレーション,天然物化学,機器分析によらないストリキニンの構造決定,コレステロールの全合成,テトラヘドロン,同レターズの創刊者等々。伝記には,この巨人の生涯における人間関係,その強烈な個性と人柄などが記されていて有機化学者にとり極めて興味深い内容なので一読をおすすめする。

 それはさておき,私が,この雑誌の巻頭言にしてはふさわしくない主題を選んだ理由は,この大有機化学者が,1950年代,テトラヘドロン・同レターズという,当時正に革新的な有機化学論文発表のメディアの創刊を通じて,1960年代からの日本の有機合成化学の発展と国際化に計り知れない影響を与えたことを指摘しておきたかったからである。このロビンソンの貢献は,見過ごされ,必ずしも正当な評価を受けていないように思われる。ロビンソンは,1957年テトラヘドロンを,ついで1959年同レターズを創刊したが,この二誌は,現在の情報化社会をはるかに先取りした,化学はもとより,サイエンス全体における真の国際誌の嚆矢とも云うべき画期的なジャーナルであった。ロビンソンは,この雑誌に,サイエンスのジャーナルでは恐らくはじめての画期的なレフェリー制度をとり入れた。即ち,世界をヨーロッパ,アジア,アメリカの三地区にわけ,論文審査をそれぞれの地区の編集長に委ねた(アジア地区初代編集長は野副鉄男先生)。この国際的に公平で,偏見を排除したレフェリー制度は,特に日本の研究者にとってありがたく,戦後の日本の有機化学の進展に大きな寄与をしたと思う。

 さて,伝記には,雑誌創刊の経緯が興味深く記されている。ロビンソンは,既に1930年代に新ジャーナル創刊のアイディアを抱いたが,第二次世界大戦の勃発により実現しなかった。戦後になっても,論文誌の発行は各学会の独占収益事業であり,ロビンソンのアイディアは,それをおびやかすものであった。1950年代の中頃になり,後に新聞王とうたわれ,昨年謎の事故死をとげたPergamon社主のR. Maxwellがこのアイディアの実現に協力を申し出たのである。MaxwellがはじめたPergamon社は,今では400以上の科学専門誌のほか科学情報検索等の出版にたずさわる世界屈指の大出版社に成長している。しかし,当時は,イギリス政府が戦後振興策の一環として設立を奨励した科学書出版杜の株を取得し,科学書の刊行に乗りだしたばかりであった。そして,1956年7月23日に行われたロビンソン,マクスウェル,ロスバウド(編集者)の三者協議によってこの新ジャーナルの誕生が決まった。ロンドン大学のW. Klyne教授が初代編集主幹になった。しかし,なお受難は続き,イギリス化学会はこの創刊に反対し,ロビンソンを長とする編集顧問委員会に名を連ねることを断る著名な有機化学者もでた。しかし,ロビンソンより30歳若いアメリカの天才的有機化学者ハーバード大・ウッドワード教授が副委員長を受諾し,後年,バートン教授が委員会に加わったことで,事態は大巾に好転した。

 今日,幸いなことに,私共はロビンソンの創った新ジャーナルに加えて,そのコンセプトとフォーマットを参考にして生まれた内外の新ジャーナルに囲まれ,投稿する雑誌の選択をする時代になっている。そのさきがけとなったジャーナルの創出者としてのロビンソンについて記しながら,改めて独創の大切さとそのはかり知れざるインパクトを感ずる次第である。


(平成4年3月18日受理)
ページ更新日
2012年4月23日