公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

発展する日本企業の研究開発
辻 二郎


 一昔前,日本の化学会社は海外からの導入技術に依存し,独創的自社技術はないとけなされていたが最近は様変わりし,次々に独創的技術の開発に成功している。化学の研究では,反応や現象の発見とその工業化は,いずれも高く評価すべきである。とりわけ工業化に成功するには,発想の転換と,発明が必要である。私が関心をもつ触媒反応の工業化を例にとりあげてみたい。旭化成ではベンゼンがシクロヘキセンより水に対する溶解度が少し大きいことを利用し,Ruの超微粒子を触媒とし,水相中の水素添加でシクロヘキセンを製造している。ベンゼンの水素添加をシクロヘキセンで止めることは,ベンゼンの共鳴エネルギーを盲信していては考えられない反応である。また,酸化ジルコニウムという全く新しいタイプの触媒による水素添加で,芳香族カルボン酸をアルデヒドで止める三菱化成の技術も,アルデヒドの方がカルボン酸よりも容易に還元されるという常識に挑戦した,ユニークなものである。三井石化によるポリプロピレン用新触媒の開発も発想の転換の好例である。TiCl3の活性点を広く分布させるのに,陽イオン、半径の近いMgCl2を担体にするという発想に基づき,固体のTiCl3でなく液体のTiCl4を担持させ,高活性触媒を創製した。さらに,どういう発想によるのかと感心するが,安息香酸エチルを電子供与体として加え,立体規則性を飛躍的に向上させ,気相法で無脱触媒,無脱アタクチックポリプロのプロセスを開発した。経済的効果だけでなく,ブラックボックスといわれたチーグラー,ナッタ触媒の本質に迫る学問的価値の高い成果と言えよう。高砂香料によるメントールの新製法は,Rh触媒による不斉活性化反応をKey Stepとするもので,世界最大規模の不斉工業プロセスである。大学の基礎研究が直ちに工業化に結びついたすぐれた成果である。

 そのほかにも近年化学製品の新製法が世界にさきがけて日本で工業化された例も多い。メタアクリル酸はアセトンシアンヒドリン法で製造されてきたが,日本でイソブチレンの酸化法が開発され,現在日本でのみ操業中である。ブタンジオールは海外ではアセチレンからレッペ反応で製造されているが,三菱化成はPd触媒を用いてブタジエンから1,4-ジアセトキシブテンをへて製造している。アリルアルコールの工業的製法は酸化プロピレンの異性化であるが,昭和電工はPd触媒を用いてプロピレンから選択的に酢酸アリルを製造する方法を開発した。これからアリルアルコールをへて,エピクロルヒドリンやアリルアミンが製造されている。クラレも同じPd触媒プロセスを開発し,アリルアルコールのRh触媒による低圧オキソ反応によるブタンジオールの製法をアメリカに技術輸出した。Pd触媒を用いるブタジエンの二量化反応も世界で初めてクラレにより工業化された。ブタジエンと水との反応で2,7-オクタジエノールをつくり,それからn-オクタノールや1,9-ノナンジオールが製造されている。成功の鍵は,Pdの配位子として,水溶性のホスホニウム塩を用いて水中で反応を行い,生成物を相分離させ,触媒を回収することなく,連続反応させる点にある。ホスフィンでなく,ホスホニウム塩が配位子として用いられているのは興味深い。また三菱化成によるオクテンのオキソ反応では,Rhの配位子としてホスフィンでなく,トリフェニルホスフィンオキシドが用いられている点も注目に付する。日本で開発されたPd触媒を用いる工業プロセスは十指以上あるが,海外ではワッカー法と酢酸ビニル以外はない。外にも近年日本で開発された独創的技術は多い。これらの技術は経済性だけでなく,上記の例でもわかるように,大学の研究では得られない種類の貴重な学問的知見も含み,学ぶべき点が多い。このような日本企業の優れた研究活動は心強い。

 日本人は新しいものを積極的に取りいれる民族である。日本の伝統的木造建築は地震,台風,火事で壊されることが多く,その都度新しく造りかえてきた。Scrap And Buildは木の文化をもつ日本の伝統と言える。一方,西洋では長い年月をかけ,永遠に利用することを念頭に,石で建造物を作り,改造するのも手直しだけという保守的傾向の石の文化の信統をもつ。日本人の優秀さと共に,こんな民族性の差が新技術の開発や積極的採用のちがいになるのかも知れぬ。石の文化の極致といえるピラミッドや,欧州の古い大聖堂の前に立って,威圧感を受けながらも私はこんな感を深くしている。


(平成4年4月3日受理)
ページ更新日
2012年4月23日