公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

探索・創薬研究を考える
吉岡 宏輔


 新機能物質の探索・創製は有機合成の命題として益々重要となっている。しかしその基盤となる独創的な探索研究への動機づけや進め方には問題も多い。それらをわが国固有の環境に絡む種々の要因から省みる必要がある。

 この半世紀を振り返ってみると,先ず化学産業全般に先進国で開発された技術の導入や応用拡大に忙しく常にスケジュール化された経済成長の中で「見える」目標と関わってきた。その中で技術導入の困難化や環境問題の生じた分野から次第に探索的研究に移行したが,企業戦略として重視に及んだのは古いことではない。また,医薬品に物質特許が導入されたのはほんの16年前であった。つまり「見えない」目標をめざして探索試行から始めるオリジナルな製品開発の経験は未だに浅く,その推進の理念や重要なプロセスにおいてよく錯誤がある。

 この「見えない」ものを空恐ろしいと感じるのは経営者や研究管理者だけではない。研究者もそうなのだ。そして,意外に見落とされているのが「動機づけ」である。例えば,新薬のリード探索では,知識や経験に基づく論理的な展開よりも,比較的素朴な作業仮設の設定とランダム手法も含めた試行の反復に依存する率が依然高い。それを可能とする要因は先ず研究者の執着心である。整然としたシステム工学的アプローチでは知識・経験の指導性は高いが,リード探索ではそれはむしろ支援手段の一つと位置づけるべきで,その意味で探索の進捗状況を適切に評価・助言できる専門家チームが必要である。また,それが経営・管理者向けに探索の現状や可能性の理解をはかる役割を果すことが肝要である。このような方策もなしに探索途上の有形無形の(難解な)産物をめぐるハードな議論は全てにとって不毛である。

 次に,探索試行の期間も問題だ。独創的試行には概して短く,他社の動向を睨んだ後発的競争試行には永く設定される傾向がある。確かに分かり易さでは後者が勝るが,その割にあまり成功していないのでは?これも「見えないこと」への恐ろしさがそうさせると思う。独創性は試行によって成長するものでもある。霧の中を進むように,先に行けばもう少し光が見えるのだ。原理発明を増やすには全体が「いま見えない」ことにもっと辛抱強くなる必要がある。

 さて,これは研究者自身の問題だが,独創的な探索心を養う心理的環境とは何かを考えてみよう。独創性は「新鮮な危機感」に触発された自立心から発現する場合が多いが,いま世の中は概して平和である。所属する組織や会社が訴える日々の危機感もいいが新鮮味が乏しい。そこで,適切に危機感をもてる状況に自らをおくことが重要な布石となる。有機合成なら(化合物クラスか機能の異なる)未体験分野に領域を変えることもよい。再び合成に戻る前提で,生物化学やコンピューター化学に挑むのも勧められる。つまり,進んで水平的試行に挑み耐えることが勧められるが,これには関係者の理解も必要だろう。昨今,日本的相互依存の構造の功罪がよく議論されるが,この構造は,集団がパニックしたとき以外は,個人が「新鮮な危機感」をあまり感じないで済むよう緩衝的に働く。これは創造性の発現にはマイナスの要因であり,それをわきまえた自己管理が必要とされる。

 これまで,「日本人と創造性」をめぐって盛んに議論されてきたが,その多くの要因は環境的なものに帰せられている。ならば,我々固有の環境に強みはないのだろうか?新薬開発に関わる欧米企業の人々に訊ねてみると面白い意見がある。新薬探索での「発想に多様性ある活発なアナログ試行パターン」は彼らにとって新鮮な特長と映るようだ。これは日本の化学教育・研究環境の多様性,つまり化学,薬学,農芸化学,等などが各々異なる価置観から独自な環境を形成し,多様な有機合成の徒が巣立ち研究の場で競合することが大いに寄与しているようだ。確かにこれもわが国固有の環境である。

 一方,我々は「物まね」と言われることに過度にコンプレックスをもつ傾向があるが,新物質創製と言っても,今や既知の何かをモデルとして真似ることから始まるのだ。そして創製の意義では新たに獲得した機能のレベルが先ず問われる。希なことだが,「置換基変換だけで」驚異的な機能向上を果たせば,それも独創的成果と評価されるのだ。ちなみに先進諸国も日本製リードの真似に果敢である。要は,めざす機能が最も重要であり,真似自体を卑下する必要はない。但し真似ばかりでは探索域が限られ,早晩手詰まりとなることも多いが。


(平成4年6月1日受理)
ページ更新日
2012年4月23日