公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

節目にあたって思うこと
櫻井 英樹


 有機合成化学協会は昨年創立50周年を迎え,盛大な記念シンポジウムを開催するなど数々の行事でこれを祝った。私自身は折悪く渡欧していて参加できなかったが,記念出版には寄稿させて頂く光栄に浴した。

 50年目というのも,長い年月の内ではその内の1年に過ぎないかも知れぬが,人生において節目の年を祝うように過去を振り返り将来に思いを馳せる良い機会を与えてくれる。野依教授を主編集者とする上記の記念出版Organic Synthesis in Japan.Past,Present,and Futureはわが国の有機合成化学の見事な集大成であった。古典的な方法論はもとより有機金属化合物や酵素の高度な利用,光や電気エネルギーの巧みな利用,高い位置,ジアステレオ,エナンチオ選択性の達成,バルクケミカルズから天然物,医薬品,高分子化合物までの多彩な合成ターゲットなどいずれも素晴らしいものであった。

 50年を一つの節目として次のステップに乗り出す1年目の本年,有機合成化学の次の目標は何であろうか。すでに獲得した多くの原理,手段を深化させることはともかく,真に指導的な新しい原理をどこに見いだすか。

 生物に学ぶというのは今世紀末の有機合成化学の一つの特徴であったと思う。多くの成果を挙げ,今も進行中であるが,それに加えて筆者は有機合成化学は物性物理学にもっと関心を持つべきであると思う。すでにある物性だけではなく,新しい物性の創造を含めて,有機合成化学はそれを担う物質の創製については最も大きな可能性を有している分野であると確信しているからである。

 ところで,節目の一つとして筆者は最近奉職している東北大学理学部の開講80周年記念に理学部長として参加し式辞を述べる機会を得た。そのこともあって東北大学理学部の開学の状況などを多少勉強することができたが,何度読んでも新たな感激を覚えるのは眞島利行先生の事績である。

 眞島先生は東京帝国大学理科大学卒業後,有機化学を志したものの,理科大学には有機化学の実験指導のできる先生がいなかったという状況であった。眞島先生ご自身の書かれた自伝によると,助教授として分析化学の講義をしながら毎日「大研究の研究」を行ったとある。これはドイツの有機化学の大家が大研究を発表した論文を順を迫って読むというもので,毎夕数冊の雑誌を携えて帰宅し,例えば,バイヤーのインジゴ,エミール・フィッシャーの糖類や蛋白の研究を初めから終わりまでノートをとりながら読破されたという。これは大いに効果があってこれらの大家から直接に学んだような感じさえあったと述べておられる。そして欧米の大家に対抗できる研究テーマとして種々考慮の結果,わが国の特産品である漆の主成分の研究に着手したとある。

 眞島先生は後年,有機化学研究の基本的心得を書き残しておられる。

l.実験室の設備と経費
2.研究事項の選定
3.研究方針の決定
4.研究実験に関する注意
5.実験結果の批判
6.報文の作成

の6項目からなるのであるが,とくに4.研究実験に関する注意の項目では,

a.観察力の養成
b.定性,定量を怠るな
c.常に希望を持つべし
d.思いつきたることは即時試みて見よ
e.一意専念精進せよ
f.方法の改善を心掛けよ
g.徹底的にやれ
h.時間的に能率をあげよ
i.研究用薬品標本の完璧
j.投棄を慎め
k.清潔と整頓
1.実験記録の諸項目
である。


 詳細に述べる余裕はないが,いつ読んでも新鮮な感動を覚える。若い有機化学者も是非一度は眞島先生の事績を読んで頂きたい。わが国の有機化学は確かに欧米に比べて歴史は浅いであろう。しかし眞島先生のような偉大な先達を有し,有機合成化学協会50年の歴史にみるように大きな成果も生み出してきた。今や真に日本の有機化学,わが国に根付いた有機合成化学を目指して歩みだし,成果を挙げるべき節目にさしかかっている。


(平成4年10月9日受理)
ページ更新日
2012年4月23日