公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

有機金属分子と有機合成
村橋 俊一


 有機合成化学協会は発足以来半世紀,その間に広範囲の有機合成の分野に大きな足跡を残してきたが,社会構造が大きく変わりつつある今日,有機合成の社会に貢献する方法を新たに考えてみる必要があるだろう。

 人類は今,エネルギー,資源,環境の問題に直面している。これらの諸問題を解決する対症療法的手法は,この10年間に著しく改善され,大きな成果が得られている。今後はといえば,結局プロセスそのものを革新的なものに変換しなければ根本的解決にならないという大きな課題が残されている。日本の研究者は今後,世界のリーダーの一員として,新プロセスを実現するために,新反応の発見と技術開発を行い,これを実施するのに伴うリスクを背負ってゆかなければならない。ひるがえって有機合成の領域は幸いなことにこの問題を解決するのに主役を演じうる立場にある。われわれは,グローバルな役割を果たしうる最も魅力のある領域で,研究に打ち込めると思われる。

 有機合成の重要な課題は,新反応と新物質の創製である。この分野の研究で,現在最も中心的な役割を果たしているのが,有機金属を用いる新手法の創出であろう。わが国のこの分野への貢献度はきわめて高く,今後も実用面でその重要性は増大していくにちがいない。

 1993年9月に第7回のIUPAC有機合成指向有機金属国際会議(OMCOS-7)が筆者らにより神戸で開かれた。若い研究者が多く集まり,熱気ある会議であった。この第1回会議が1981年に米国で開催されたが,この時の研究発表と今回の会議のそれを比べると,小さな流れが大河にかわっている様子がわかる。当時は触媒反応の素反応の酸化的付加,還元的脱離などが一般則としてわかり,パラジウムなどの有機金属錯体の反応や有機金属反応剤の開発が活発に行われていた。これらはまだ基本反応の研究で複雑な化合物の合成を指向する研究は限られていた。その後,これらの反応は有機合成に使いやすい反応へと改良され,広く用いられるようになってきている。また触媒反応の各過程が解明されると,この知見を基盤とする不斉配位子を持つ有機金属触媒が分子設計され,不斉合成に大きなインパクトを与えた。すでに不斉触媒反応は工業的プロセスとして実用化されており,いずれ反応剤の商品リストは,光学活性物質で満たされると予想される。

 今回のOMCOS会議で発表が多かったのは,不斉合成への新しい原理の開発研究や,顕著な生物活性を有する複雑な物質の合成に有機金属を用いる方法の開発に関する研究である。さらに,機能物質の開発に関しても,有機金属が大きな波及効果を及ぼしつつある。メタセシスの反応機構の研究から,新しい有機金属分子が創製され,リビング重合による高度に規則的な高分子合成の分野が開拓されたのもこの例である。このように,有機金属はきわめて広い範囲の“ものづくり”に不可欠な存在になりつつある。今後も,高効率,高選択性を目標とした有機金属を用いる化学の応用研究は,その社会的ニーズが一層高まることからますます発展するであろう。しかしながら,これまでの流れにそった研究では独創的で基幹となる新反応の開発は困難になる恐れがある。もちろん,社会のニーズに答えるための短期的研究目標は,十分に達成されなければならない。しかし,これとは別に真に新しい反応やコンセプトを創出しければならない。金属を有機化すると,有機物に溶ける金属化合物群が生まれ,また,目的化合物設計における自由度が飛躍的に増大する。金属の種類は多く,未利用の元素も多いから,今後も無限の可能性を秘めている。われわれのまわりには面白いことや,調べてみたいことがいくらでもある。将来の革新的な物質変換の手法を獲得するためには,基礎理論に基づく真に新しい概念や原理を見いだしていく,厳しい目が必要であろう。なかでも新しい概念に基づく有機金属分子の創製が次世代の新反応,新機能材料創出の基幹である。

 われわれは今,化学の領域を越えて生物や物理の基礎概念を視野に入れ,広く科学の本質を見極めて研究を行う必要性が最も強く求められる時点に到達しているにちがいない。自ら有機合成の領域を越えて行動し,研究を仕上げてしまう情熱と力量もより一層求められるであろう。


(平成5年10月21日校了)
ページ更新日
2012年4月23日