公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

有機合成化学と蛋白質生化学
宮澤 辰雄


 もう45年も前のことであるが,わたくしは学部学生のとき,講義で学んだ分子内部回転に魅せられ,構造化学の研究室に配属した。そのような内部回転により,蛋白質などの分子の立体構造が変わり,酵素活性などの機能も変わるのである。ボストンヘ留学し,蛋白質のポリペプチド鎖の基本構造と赤外吸収との関連を明らかにできたのは若い頃の思い出である。その後,大阪で14年あまり勤務し,主としてポリマー分子鎖の構造と振動分光学の研究をしていたが,気分を新たにして東京に移り生物化学の分野で勤務した。核磁気共鳴分光学を主たる構造化学の手法とし,研究テーマを生理活性ペプチド・蛋白質・核酸の構造と機能にかえた。わが国では初めて,フーリエ変換方式の270 MHz超伝導核磁気共鳴装置を研究室に設置できたのは15年前のことである。

 生物化学の分野に相応しい研究テーマとして,蛋白質合成システムにおける動的構造と機能制御をプロジェクトとして設定し,大型の研究費を申請したところ,幸いに採択され,定年退職前の3年間をそのプロジェクトに専念できた。その頃の研究室員の真摯な研究活動は忘れ得ない思い出である。このプロジェクトでの成果の一つとして,大腸菌より,イソロイシンに特異的な転移リボ核酸(tRNA)にある未知のヌクレオシドを単離精製し,化学構造として2種の候補に絞り込んだ。そのうちの片方の合成を故 上田亨教授がお引き受けくださったおかげで化学構造が確定した。それは,シナジンの2の位置にアミノ酸のリシンが縮合したものであるので,リシジンと命名した。このtRNAにおいてシチジンからリシジンへの転写後修飾が,コドン特異性とアミノ酸受容特異性を同時転換していることが明らかになり,一つの遺伝子が2種のtRNAをコードしていることの発見になった。

 一昨年の春から再び大阪で勤務し,蛋白工学にシフトした。従来の蛋白工学では,天然の蛋白質のアミノ酸配列を改変し,天然よりも熱安定な蛋白質または高機能の酵素を創製することなどを試みている。しかし,次世代へ向けての展開を図るためには,有機合成化学と融合させた新たな展開を図ることが重要と考えている。

 その一つは,非天然型アミノ酸を蛋白質に組み込んだアロプロテインの創製である。前述のプロジェクトで,ある限られた範囲の非天然型アミノ酸であればインビボで組み込む方法は開発できた。国際的には,インビトロの蛋白質合成の改良により,多様な非天然型アミノ酸を蛋白質に組み込む研究が発展している。いずれにしても,新たな機能(あるいは物性)を備えたアロプロテインを想定し,それに適した非天然型アミノ酸をデザインして合成し,やがては天然を超える新機能のアロプロテインを合理的に自由に創製できるようになれば,まさに超蛋白質の時代になる。

 つぎに,経口医薬の合理的な創製法がある。天然の蛋白質ホルモンをダウンサイズした生理活性ペプチドを作成し,そのペプチドがレセプターに結合しているときの立体構造を明らかにすることが重要である。最近は,ランダム配列のペプチドライブラリーから,有効なものを選別する試みが行われ,ある程度成功している。レセプターに結合しているときのペプチドの立体構造が明らかになれば,合理的なドラッグデザインを進めることができるのである。注射にかわる経口医薬を開発できれば,人類の福祉に大きく貢献できるであろう。

 さらにまた,有様合成反応を促進する触媒抗体の開発もチャレンジングである。反応の遷移状態をミミックするハブテンのデザインと合成に始まり,免疫して抗体を作成し,活性のあるものをスクリーニングし,3次元構造に基づいて蛋白工学的に改変して高機能化することが必要である。これは有機合成化学・分子生物学・構造化学・生化学を総合したプロジェクトになるが,なんといっても,その起点は有機合成化学である。

 ここでは,思いつくままに述べたが,いずれにおいても,有機合成化学と蛋白質生化学を総合したアプローチが必須である。それには従来の枠を超えた研究環境の整備が必要になる。幸いに科学研究費は毎年大幅に増額されており,大学などの研究施設の改善の急務がようやく認識される状況になってきた。これからの若い研究者の方々には,狭い専門にこもらないで,新しい発想のプロジェクトに果敢にチャレンジして頂きたいと思う。


(平成4年9月20日受理)
ページ更新日
2012年4月23日