公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

有機マグネシウムの100年
熊田 誠


 グリニャール試薬(“RMgX”のエーテル溶液)が1900年に登場してから今日まで有機合成の進歩に果たしてきた役割は計り知れぬほど大きい。実験室規模に止まらず,最近では各種ファインケミカルズの工業生産にも役立っている。

 この合成剤はリヨン大学のP. A. Barbier教授のもとに学位論文のテーマを求めてやってきた28歳のVictor Grignardにより発見されたのだが,有機マグネシウムR2Mgの歴史はもう少し古く,最初の合成は1859~60年。だが系統的な研究が初めて行われたのはちょうど100年前(1888~94年),テュービンゲン大学のLothar Meyer一派によってであった。彼らはヨウ化アルキルとマグネシウムを,あるいはジオルガノ水銀とマグネシウムを封管中で加熱して対応するR2Mgを合成(かつてE. Franklandが有機亜鉛の合成に用いた手法),とくにジフェニル化合物については純粋単離,不活性溶媒に対する溶解度,種々の有機ならびに無機基質との反応をかなり手広く研究した。しかし,合成の難しさ,溶解性の低さ,空気およびCO2中での引火性のため,彼らの有機マグネシウムは有機合成にはまったく不向きで,以後,発展することはなかった。

 Grignardが師事したBarbierは1898年,精油から採れるメチルヘプテノンをヨウ化メチルとマグネシウムで処理することにより亜鉛(Zaytzeffの手法)ではできなかったジメチルヘプテノールの合成に成功したとして速報,そして亜鉛に代えてマグネシウムを用いたことは新規であり,後日詳報するまでこの反応の実施権は自分にあると宣言した。しかしこの新反応は再現性に乏しかったためか,約束しながら彼はついに続報を出すことはなかった。だがこの反応に未練があったとみえ,ちょうどその頃彼のもとに来たGrignardにこの反応の追試と発展を試みさせた。

 Grignardの懸命の努力にもかかわらず結果はいつも不確実であった。だが彼は挫折しなかった。ここに彼の非凡さがある。彼はFranklandやMeyerらの観察を精査することにした。そしてその間にヨウ化メチルとマグネシウムだけを無水エーテル中で反応させてみることを思いつき, この着想がグリニャール試薬の発見に結びついたのである。この研究が速報(Compt. Rend., 1900),次いで最初のフルペーパー(Ann. Chim., 1901)として発表されるや世界中の合成化学者の間に大きな反響を呼び起こした。1912年,Grignardはその功績によりノーベル化学賞を受賞した。現在までにノーベル化学賞受賞者の数は117名に上るが,金属あるいはメタロイドを含む合成剤の発見とその有機合成への利用によってこの賞を受けたのは,Grignard以外ではH. C. Brown(ハイドロボレーション)とG. Wittig(ヴイッティヒ反応)(ともに1979年)だけである。

 グリニャール試薬“RMgX”はつねに新しい問題を提起してきた。溶液中におけるその構造・組成・会合度,RXや溶媒の性質に顕著に依存するその生成の難易,溶媒と反応基質で異なる反応機構,触媒量の遷移金属塩,あるいは錯体の存在でそれが演じる多彩な高選択的有機合成などその数例だが,これらの中にはいまなお激論を醸し出している基本問題―例えばグリニャール試薬の生成機構―もある。このように,Grignardはとてつもなく大きい遺産を残して1935年その輝かしい生涯を閉じた。

 Grignardは最初,中学校の数学教師になるつもりでリヨン大学に学んだが,ふとした機会にL. Bouveault教授の影響をうけて有機化学の路に入り,さしたる年季も積まぬうちに,幸運にも恵まれたとはいえ,かくも偉大な不滅の業績を挙げることができた。このことはわれわれに大きな教訓と勇気を与えてくれる。そしてGrignardの発見は決して特例ではなく,自然科学における偉業はまだ素人の域を出ない人びと,あるいは若くて柔軟な頭脳の持ち主によって成し遂げられたケースが実に多いことを歴史は示すのである。


(平成4年12月11日受理)
ページ更新日
2012年4月23日