公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

雑想ファインケミカルズの余談
佐々木 正


 古い話で恐縮であるが,筆者が初めてファインケミカルズ工業を提案したのは昭和20年前半の終戦直後のことで,国土も狭くなり,もともと天然資源が乏しいわが国の化学工業の将来像として考えたもので,要は輸入によらなければならぬ原料をもっとも能率的に利用し,日本在来の優秀な知的能力を結集し,知識集約型で付加価値の高くグローバルなレベルで,社会的要求度の大きいものをつくることにあった。戦後経済復興の著しい時代,化学工業は公害の元凶とまでいわれるほど公害問題に悩まされ,巷では省エネ,省物質が叫ばれ,第一次石油ショックとなった。この辺りから世間でも次第にファインケミカルズ工業が注目され始め,この傾向は第二次石油ショック時代まで続いた。筆者が「ファインケミカルズ」を稿したのがこの頃(1972年)で,欧米ではスペシャリティケミカルズなる言葉を見聞するようになり,その差を問われることも多くなったり元来ファインケミカルズの語源は原料製造の重化学工業のローケミカルズに対応した和製英語で,外米のスペシャリティケミカルズとは若干ニュアンスが異なる。1991年出版されたその単行本(Pearson編)では,その序言でPolastroはファインケミカルズをその一部と考えて説明しているが,製品思考である点に大差はない。

 さきに筆者は化合物の製品開発にはその静的性質としての物理性の利用に基づく性質物質の開発とその動的性質としての反応性を応用する作用物質の開発とに分けて説明し,その後者として「作用物質分子設計」を稿した(1974)。これまで有機合成化学の研究に携わってきた筆者の有機化合物の物理性に関する知識は誠に乏しく,生成物の構造確認法としての固体(結晶)での融点,液体,気体での沸点のほかに若干のスペクトルデータのみで汗顔の極みである。したがって,前述「作用分子設計」に対し「性質分子設計」といった物理性と化学構造との相互関係に基づく分子設計については気に掛けながら現在に及び,1992年Horvathにより「分子設計」刊行を見るにいたった。この本でも述べているごとく社会的要求としては“融解熱,密度がともに高く,融点は50 ℃近辺で容器とは反応せず安価なもの”といった具体的に物理性の限定されたものをつくることが望まれることが多くなった。合成化学の立場からいえば有機天然物の構造確認の手段として,これまで効を奏してきた合成化学も,合成のための合成といったただ単にものをつくればよいといった時代からこれこれの物理性をもつものをつくることが望まれ,分子設計を基軸としてものを合成することに移行し,分子設計の叫ばれるゆえんもそこにある。最近の傾向としては機能物質としての新素材,新材料の開発が盛んになりつつあるが,ここでまた問題となるのは前記作用物質と機能物質とのちがいであろう。医薬,農薬で代表される作用物質では化合物の人間,動物,植物といった生物系と反応して生ずる効果が作用の発顕となるのに対し,機能性物質ではその物質固有の特殊な物理性に基づく機能の発顕であり,原則的には異なっているようにも思われる。もっとも京大の今西教授(本誌50, 1164(1992))の物理的機能,化学的機能,生物的機能という分類法によると,従来の材料は物理的機能に着目し利用してきたもので,外界からの刺激に対し応答する能力を有するものが化学的機能材料であり,この20-30年の間に新しく合成,開発された分野である。しかし,その究極の目標は機能材料の合成であり,外部からの刺激や信号を特異的に需要し,これを変換し,的確な応答を引き起こす機能と,生体システムが生命現象において発現している機能である意味で生体機能材料と表現され,生化学最近の進歩に負うところが大きい分野で,前記作用分子の開発と方法論的に近接してくることは興味がある。

 そもそも化学という物質変換の歴史をみると,分子,原子にいたる細分化の方向から,その再結合による分子構造論をうみ,さらに巨大化が行われ高分子化学が起こった。細分化の方向には限度があるのに対し高分子化に限度はないと考えると化学の将来像にある夢は高分子化学にあるようで,とくにその集合状態が問題になる耐久性,機械的強度の要求される素材,材料となるとその傾向は大きい。化学が夢多き未来に通ずることを確信する。


(平成5年1月8日受理)
ページ更新日
2012年4月23日