公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

創薬と合成化学の研究・教育
吉井 英一


 「創薬」という言葉は新薬の創製という意味で,薬学の学術的・社会的使命を明確にするために野口照久博士がサントリー生医研所長当時に提案されたものである。日本薬学会では,1979年にメデイシナル・ケミストリー・シンポジウムを,1984年からは創薬セミナーを発足させ,創薬に携わる研究者の啓発と情報交換の場を提供してきた。さらに,21世紀薬学創造委員会報告に基づき医薬化学部会を創設(1990年),部会年会や創薬懇話会を通じて産・学における創薬の基礎研究の推進を図っている。

 今やわが国は世界一の長寿国といわれるようになり,今後人口の高齢化が急速に進むと予想されるなかで,ますます重要視される高齢者疾患(癌,循環器系,骨粗鬆,痴呆など)の治療薬を開発することは,創薬関係者の社会的使命であり,製薬企業にとって熾烈な国際競争化時代に生き残る道でもある。いうまでもなく,新薬の創製には多大な研究費と相当の期間を必要とするが,何よりも基礎研究者(有機化学、生物化学、物理化学、薬理化学等)の総力を結集し忍耐づよい研究を展開せねばならない。そのなかにあって,モノづくりを担当する有機合成化学者の果す役割はきわめて大きく,デザイン(分子設計)されたターゲットを確実に効率よく合成することが求められる。そのためには,専門とする合成化学の幅広い知識と技術を身につけるべく心掛けることは当然であるが,生物活性評価の結果を分子レベルで考察しデザインにフィードバックさせうる能力も必要とされる。

 近年における有機合成化学の進歩は加速度的で,新着学術雑誌を開くたびに新反応剤、新しい分子変換反応,触媒的不斉合成,複雑な天然物の全合成などの報告に興奮をおぼえる。Sharplessの不斉エポキシ化反応は今やルーチン的に用いられ,鎖状化合物の立体制御合成は完璧といえるまでに精密化されつつある。また,遷移金属化合物を用いる合成反応の威力と進歩にも目を瞠るものがある。一方,医薬品開発に大きな役割を果してきた生物活性天然物の合成化学分野では,高度に官能基化された複雑な構造分子がつぎつぎと全合成されているが,単なる既知反応を組み合わせた多段階合成では注目されない。ここでも方法論の独創性と効率が重視され,かつ創薬を含めたバイオサイエンスとのかかわりが問われるようになっている。ごく最近、ニコラウはエンジイン系抗癌抗生物質の一つであるカリチェミシンγ1の全合成を達成しC&EN誌上で競合グループから称賛されているのも,第一には超難物と思われた仕事を成し遂げたことに対する敬意もあるが,毒性を軽減した抗癌薬の開発への波及効果も大変に大きいものがあるからである。

 このように進歩の激しい時代にあって,院生(低年次)の教育をいかに効率よく行うかが大きな課題である。最先端の報告をフォローできるぐらいの力をつけてほしいが,学部レベルとの格差が大きいうえに適当な自習用の単行本が見当たらないし,Carruthersの本(1986)もかなり古くなった。総説などを参照させたり講義を工夫したりしているが,消化不良をおこさないか気掛りである。

 最近,わが国の科学技術レベルの国際比較が各方面で取り上げられており,月刊誌「化学」でも「日本の化学は一流になったか?」の特集号が組まれた(本年1月)。福井謙一先生は,研究は個人の問題であって一国のことを語る時代ではないとされている。そのとおりであろう。しかし,大学改革をめざした大学審議会の答申において大学の自己点検・評価が強く求められているなかで,業績評価に関しては決定的な方法がないだけに参考となろう。有機合成化学分野の先生方の採点は,総じて研究者の質は優れているものの研究の独創性と大学(院)教育の質に対して厳しく,同感である。その根源に日本の大学制度の画一性と保守的な講座運営によって優秀な若手が育ちにくい環境にあり,かつ周知の事実として劣悪な予算・待遇が指摘されている。これらのうち,財政支出の大幅な増額は現状では望み薄だし,下手な平等が不平等につながりかねない。グチもあろうが,すぐできることから改革しなければ研究二流に甘んじ続けることになる。まず着手すべきは,大学院教育における実験研究と講義のバランスをアメリカ並にして,広い視野をもち創造力豊かな若者が育つような環境をつくり,教官・学生相互の評価を公正にチェックすることであろう。


(平成5年3月1日受埋)
ページ更新日
2012年4月23日