公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

ヘテロ元素にもっと目を
稲本 直樹


 有機化学は天然有機化合物の構造研究から始まった。そのため,有機合成化学のターゲットは天然有機化合物,とくに近年では特異な複雑な構造のものに向けられるのは当然であろう。天然有機化合物には生理活性を有するものも多いので,それらの誘導体や関連化合物も多く合成され,その結果,構造-活性相関が明らかとなり,より優れた医薬の開発ができるようになった。

 天然有機化合物は,通常,C,H,O,Nを含むにすぎず,まれに,Sやハロゲン元素などを含むものがあるが,これらは周期表からみると,ごく限られた元素にすぎない。遷移元素を除いても多数の典型元素があり,これらは有機化合物の構成元素となりうる。

 もっとも広義には,C,H以外の元素のうち,遷移元素を除いたものが,通常,ヘテロ元素といわれている。しかし,第2周期元素であるN,Oなどは古くからの有機化合物の構成元素であるために含めないこともある。

 古くからあるヘテロ環化合物はN,O,Sなどのヘテロ元素を含む環式化合物で,アルカロイド,抗生物質など生理活性をもつものが多く,医薬品として広く用いられ,機能性材料としても利用されている。有機化学の発展により,1970年代には,遷移金成錯体や,BやSiなどの典型元素の特性が有機合成に利用され,有機金属化学の進歩に伴い,利用される元素も周期表の高周期元素側,すなわち,ヘテロ元素におよび,P,S,Ge,As,Se,Sn,Sb,Te,Bi,高周期ハロゲンなど,第3周期以降の典型元素を中心とする新しい有機化学の分野,すなわち,「ヘテロ元素有機化学」が発展してきた。

 また,有機合成化学では,精密合成反応として官能基選択性、立体選択性,位置選択性,不斉合成などで反応の選択性の向上が追究され,それらが遷移金属錯体およびヘテロ元素化合物を用いて解決されるようになると,さらに反応の高度選択性を目指し,また従来は困難または不可能とされていた反応を実現するため,各種のヘテロ元素の特性が広く利用されはじめた。

 第3周期以降のヘテロ元素は,原子価殻を拡大し,種々の原子価をとれるものが多いので,高配位の超原子価(hypervalent)化合物が生成し,新しい化学の分野が開拓されている。したがって,配位という立場からは,遷移元素とも類似性がある。また,第3周期以降の元素間の多重結合は,結合距離が長く,軌道の重なり合いが小さいので弱く,このような多重結合を含む化合物は不安定で非常に多量化しやすいため,安定には存在しえないという考えが従来の定説であった。しかし,1981年に,筆者らによるジホスフェンAr-P=P-Arの単離や,R. WestらによるジシレンAr2Si=SiAr2の単離はこの定説を完全に打ち破った。双方ともArとしてかさ高い基を用いて単離を達成し,低配位ヘテロ元素化合物(不飽和なヘテロ元素を含むので,ヘテロ元素に結合する基の数が通常より少ないことを意味)の化学という新規な有機化合物の分野が開拓され,現在も発展しつつある。

 1987年7月に神戸で第1回ヘテロ原子化学国際会議が開催され,これを機に,硫黄・リン化合物討論会がヘテロ原子化学討論会に改称され,平成2年度より3年間,文部省科学研究費重点領域研究の一つとして「有機典型元素化合物の異常原子価」が採択され,わが国のこの方面の研究は大いに発展しているのは喜ばしい。

 カルコゲン元素(S,Se,Te)を含むヘテロ環は有機超伝導体の電子供与成分として,スルフィドやスルホンを含むポリマーはエンジニアリングプラスチックスとして,などのように,ヘテロ元素の種々の新しい応用が計られている。新発見は予想外の現象を見逃さないことからできることが多い。ヘテロ元素の分野では未知のことが多く,予想外のことが起こる確率も高いと考えられる。

 以上述べてきたように,ヘテロ元素は種類が多く,かつ多様な原子価をとりうるので,化合物の種類も多岐にわたる。また,有機合成の分野でも,ヘテロ元素の新たな特性の開発をもとに,今後もますます利用されるであろう。さらに,各種の新規ヘテロ元素有機化合物の合成もなされ,それらの新しい機能も開発され,今後の研究次第では,基礎と応用の両面で無限の可能性が広がってゆくものと考えられ,将来大きな体系に発展する可能性が期待される。このようなヘテロ元素にもっと関心をもってほしい。


(平成5年4月16日受理)
ページ更新日
2012年4月23日