公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

有機合成と大学入試
園田 昇


 あまり関係のない二つの言葉を題に並べたような気がする。ところで今年の四年制大学約500校の入試に,延べで100万人を超える若者が受験した。このうち国公立(一部私立)大学では大学入試センター試験に加え,大学独自が行う二次試験として一大学が前期と後期の二度試験を行ういわゆる分離・分割方式と,大学をA,B,Cグループに分け入試日程をずらす方式が,並行して実施された。そして1997年度から高校のカリキュラムの多様化という新指導要領の趣旨にそって,センター試験の教科・科目も大幅に増えようとしている。しばしば変わる入試の方式や内容に受験生はともかく,直接入試に関係ない者にとってはよくわからないことが多い。受験生の負担をできるだけ軽くし,かつ複数の受験機会をあたえ,一方では大学の要求に見合う学生を入学させる目的で科目や配点比を多様化したため,複雑な入試が行われるようになった。当然のことながら,入試改革の意図とは裏腹に受験産業は活気を帯びる。そしてやがて18歳人口が激減するという,大学にとっても,また社会にとっても冬の時代が待っている。

 経済成長と社会の繁栄に裏打ちされて若者が進学意欲を燃やすことは好ましい。しかし,多数の高校生が受験戦争に精力を使い,教師から与えられる処理し切れない課題を抱えている。このような「指示待ち青年」はしばしば人生の目標が入試であるように錯覚し,入学進学の本来の目的はおろか,何を専攻するのかでさえ自らの考えによらず,テストの結果や偏差値で決めるという状態に陥る。

 こうした状況のもとにあっては多くの受験生にとって,化学はその本質はともかく問題を解くための一受験科目としか映らない。ましてや有機合成など,ほとんどの受験生にとって意義を感じるほどの余裕はない。

 受験のための化学は応用問題が少なく,いわゆる知識を問う形,つまり学習をしたかしなかったかで成績の決まることが多い。化学がしばしば暗記もの扱いされるのはこのためであろう。このようないわゆる思考より,学習を偏重した教育環境にあっては,自然科学を学ぶ際に肌で感じる不思議さ,疑問、発見の喜び,感激といった刺激と魅力を味わう段階がほとんどない。これは当然のことながら思考力の低下,創造性の欠如という結果を招来する。人を選別するという入試制度の抱える問題はいわば永遠の課題であり,最善の方法などあり得ないと云われるが,その影響の大きさを考えるとき,深い議論をつくして改善に向けて不断の努力を続ける必要がある。

 一方,このような環境で育った若者を受け入れた大学の責務は一層重大である。プリンストン大学小林久志教授の意見によれば,日本の教育は“科学技術・芸術文化等の創造的活動能力を組織的に抹殺し,受動的人間に育てるもの”との厳しい指摘がなされている。日本が“技術大国”と云われながら,その実,特許,ノウハウ使用料などの欧米に対する技術収支が,日銀の統計では1992年度5,200億円の赤字を出している。日本が技術収支で世界一の赤字国であることは独創技術で優位に立ち至らないことを示している。もちろん有機合成の分野とて例外ではない。日本の有機合成化学のレベルは決して低いものではないが,上のような結果は,研究の真の独創性,創造性においてまだ大きい課題を残していることを意味する。

 21世紀にわが国の合成化学が世界のトップの座を占めるためには,広い視野をもつ創造力豊かな人材,高い教養と見識をもつリーダーとなり得る人材を化学の分野を中心に育成しなければならない。そのためには大学での一般教育のあり方、専門教育のあり方、そして大学院における教育と研究のあり方など,改革すべき諸問題の解決に真剣に取り組まねばならない。一方において,入試制度改革と小,中,高等学校の教育の歪みの是正が必須であることは論を待たない。

 未知への探究に興味をもち未開技術の創出に情熱を燃やすフロンティア精神にあふれる人間を育てるには,小手先の改隼や掛け声では対処できない。教育の効果が表れるには時間がかかる。教育の原点にたち返り大胆な改革を行うことが急務である。


(平成5年8月2日受理)
ページ更新日
2012年4月23日