公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

遷移金属カルボニルを研究の道連れに
渡部 良久


 遷移金属カルボニルの化学の歴史を振り返ると,そこには三つの大きい流れがあるように思われる。その一つは,ゼロ価,マイナスⅠ価~マイナスⅢ価に及ぶ低原子価の全域の化学を担っていることである。19世紀後半,Ni(CO)4の発見にはじまり,現在のゼロ価の遷移金属カルボニルは20世紀前半には出揃い,今日では,6,7,8族の金属カルボニルの多くは入手可能(市販)である。その後,ゼロ価の金属カルボニルの還元が検討されて,マイナスⅠ価とマイナスⅡ価原子価金属の化学が誕生し,最近ではマイナスⅢ価とマイナスⅣ価の金属種へと知見が広げられている。これらの一連の知見により,一酸化炭素の配位により低原子価金属種が効果的に安定化され,高原子価で安定な金属酸化物ならびにハロゲン化物の化学とは,全く異なった新しい領域が創出された。これらの金属カルボニルアニオン種は,高い求核性を有し有機ハロゲン化合物と容易に反応して,各種有機金属化合物を与え,金属有機化学の発展に寄与した。マイナスⅡ価のカルボニル鉄酸塩は,超求核性反応剤として,カルボニル化反応,還元反応ならびにC-C結合生成反応などの有様合成反応に用いられている。また,カルボニルコバルト酸塩とカルボニルマンガン酸塩の化学は,カルボニル化反応機構とオキソ反応機構の分子レベルでの解明に決定的な貢献をした。6族金属カルボニルとアルキルリチウムとの反応から,Fischerカルベン錯体が誕生し,金属カルボニル配位一酸化炭素の選択的還元によりホルミル錯体が登場する。カルボニル金属酸塩の加水分解により,容易に金属-水素結合を有するカルボニル金属酸(プラスⅠ価あるいはⅡ価)に導かれ,金属-水素結合へのオレフィン,アセチレンなどの挿入反応が知られることになる。カルボニル金属酸は,水素と一酸化炭素の同時活性化の鍵化合物であり,オレフィンのヒドロホルミル化反応,カルボニル化反応,還元反応などの活性触媒として,石油化学工業において活躍している。低原子価遷移金属の化学は多彩である。

 二つ目の流れは,金属カルボニルの有機溶媒に対する高い溶解性ならびに揮発性に基づいている。例えば,ニッケルと単核鉄カルボニルは有機溶媒可溶な液体である。遷移金属を有機溶媒に可溶化する手法としては,親油性配位子が用いられ,トリフェニルホスフィン配位のWilkinson錯体(Rh)ならびにVaska錯体(Ir)などに代表される。近年,配位子を工夫して,不斉収率95%を超す不斉触媒反応あるいは高活性,高選択的新規触媒反応が開発されている。一酸化炭素は,最も安価な親油性配位子である。この物性により,遷移金属カルボニルは非水系の有機反応に仲間として参加が認められ,遷移金属をして有機合成化学の分野にも,反応剤ならびに合成触媒として,その華麗な活躍の場が与えられた。

 三つ目の流れは,一酸化炭素の化学,すなわち基礎的炭素原料としてその化学的利用に関するものである。1920年代に,Fischer-Tropsch反応が見いだされて,合成ガスから炭化水素合成の途が拓かれた。オイル危機に際して,1980年代の我が国のナショナルプロジェクト,C1化学(合成ガスから基礎化学原料合成)の記憶も新しい。現在,中国では明日に差し迫った車時代に向けて,天然ガスから合成ガスを経る燃料合成を,国の最重点課題のひとつと位置づけている。米国化学会94年春年会でも,F-T関連反応のシンポジウムが組まれている。21世紀には,炭素資源の有無を問わず各国で合成ガス転換反応,すなわち一酸化炭素化学への期待が一層高まるであろう。

 一言でいえば,遷移金属は低原子価金属,すなわち金属カルボニルに姿を変えて無機化学と有機化学を繋ぐ役割を果たし,一酸化炭素は高反応性ガスなどの持ち味を活かして,石炭化学と天然ガス化学を石油化学に繋ぐ大役を担っている。

 私達のグループの研究は,遷移金属カルボニルの化学(Fe,Co,Rh,Ru,Pt,Mnなど)を柱に掘えて,上述の三つの流れの中を揺れ動き,金属の多様性を活かして,それぞれの金属に特徴的な反応性を引き出すべく呻吟して,今日に至っている。気がつくと,燃料化学,C1化学,触媒化学,有機金属化学,有機合成化学などの各分野に連帯の輪が広がっていた。私達にとり,遷移金属カルボニルは研究の良き道連れである。


(平成6年2月28日受理)
ページ更新日
2012年4月23日