公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

有機合成のシーズとニーズの接点
浦 康一


 有機合成化学協会50周年記念事業の一環として,標題の座談会を分野別に行った内容については,既に本協会誌に連載し,またそれらを纏めた小冊子を維持会員企業に配布した。座談会の企画とその結果を纏めた立場として,また日頃,産学の情報交換のあり方について感じていることを述べてみたい。

 有機合成化学分野で過去数年に遡って学協会の技術賞等を受賞した企業のサクセスストーリーを選定し,これを医薬,農薬,触媒,機能性化合物の4分野に分けて,有機合成手法としてのシーズと企業の市場ニーズの接点がどうであったかを検証するために,企業からはその研究開発担当者と,大学からはその分野の先生方に出席いただいた座談会であった。シーズとニーズの接点がいくつか見られたのは触媒の分野であった。すなわち有機金属錯体触媒を用いた製造プロセスの開発である。具体的には天然香料のl-メントール,ジャスモン酸メチル,除虫菊成分の光学活性シクロプロパンカルボン酸のプロセス開発である。一般的には大学がシーズを提供し,企業がそのシーズをニーズに結び付ける情報交換の場が望ましいが,上記2,3の成果を除いては大学と企業の間には接点がないように見受けられた。医薬,農薬,そして機能性化合物として採り上げた写真薬,機能性色素といった分野ではこれらの分子設計の機能がまず出発点であるが,もちろん大学にはその研究機能はない。企業自体も分子設計に関しては有機合成機能と評価機能の緊密な連携の下にLead generationからLead optimizationまで,試行錯誤を重ねながら開発化合物に辿り着いている。選定された開発化合物の製造プロセスについても,ほとんど企業独自で構築している。医薬,農薬,写真薬,機能性色素の場合,開発化合物がヘテロ環化合物のケースが多いが,最近の大学ではヘテロ環合成の研究は少数派となっていることから,シーズとニーズの接点もまた無くなってきている。「企業の方は大学の情報を学会や論文の発表を通じて知っているが,大学の方は企業の市場ニーズを知らずにシーズ研究を行うケースが多い。知っていれば同じシーズ研究でも視点が変わり得る。言うなれば情報の一方通行が問題である」とお一人の先生からの感想があった。この点では企業が大学にニーズを持ち込んでいないことは反省せねばならない。一方,「例え持ち込んでも,その商品コンセプトの競合関係からシビアなコストを目指す必要があるが,先生方は経済性を含めた合成プロセスの展開にどれだけの寄与が可能だろうか」と企業の方からの発言があった。言い換えれば大学はほとんど頼りにならないという見方である。経済性という立場では,確かに大学の研究はそこまでの意識はないし,そこまで大学に求めるべきではなく,それは企業が評価,選択すべき課題である。しかし大学においても,有機金属錯体触媒の反応では触媒の量論的使用から触媒的使用への流れ,そして触媒の分離回収リサイクルが大きな方向である。その可能性がなければ企業はそのシーズに特別な関心を払わないであろう。一方、企業の立場から言えば,有機金属錯体触媒のシーズは光学活性炭素を含む天然物あるいはそれらを含む医薬品合成分野のニーズに限られると思う。現在の企業のニーズの対象となるのは,やはり未だベンゼン環の化学であり,ヘテロ環の化学であり,多くの未開拓の分野が残されている。しかし,現在の有機合成化学の主流は有機金属錯体触媒を用いる光学活性化合物の合成に移行しており,その意味では確かに両者の関心のギャップが存在するように思われる。この度の座談会を通じて先生方の感想は,「企業のこれらのヘテロ環の化学は立派なシーズ研究であり,これらのシーズを大学も採り入れたい」とのことである。すなわち,大学が常にシーズの提供者とは限らず,企業も充分にシーズを提供し得るとの評価をいただいたと思っている。大学においても企業においても,ますます対象の手法や分野が専門化,細分化が進む結果,全体を総合的に評価判断することが困難になってきている。有機合成化学の分野においても,バイオプロセスの機能を採り入れたり,あるいは分子設計の分野においてもコンピューターケミストリーや蛋白質Ⅹ線解析の機能も採り入れたりせねばならないだろう。その意味では大学も企業も唯我独尊でなく,ますます視野を広げ,有機合成化学周辺のシーズにも,さらに変化する市場ニーズにも対応していかなくてはならない。そのための互いの情報交換の場が学協会の役割であろう。


(平成6年5月23日受理)
ページ更新日
2012年4月23日