公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

有機合成化学の将来と有機電気化学の役割
長 哲郎


 科学技術がいかに進歩しても物造りのための合成化学の学術は不可欠なものとして残るとよくいわれます。優れた機能性を有するファインケミカルズは分子設計などの進歩によって性能が向上し,それにふさわしい新しい合成法が数多く開発されていますし,今後ますます新しい機能性物質の発見と,幅広い合成法の確立へ発展するものと期待できます。さらに機能性の解明には,生理活性物質が生体と特異な相互作用をするように,有機物単独の化学的性質の解明だけでは不十分であり,近時関心を集めている超分子化学(supramolecular chemistry,2つ以上の分子が分子間力で会合する結果できる高次の集合体に関する化学)にも注目する必要があります。このように有機化学者は有機物の構造,物性,反応,合成のみならず,より広い知識と研究手法を問われる時代になっています。

 有機反応手法の変遷では,まず試薬法が発展し,ついで簡便かつ量産に適した触媒法が,さらにクリーンな,ある場合には特異な反応法として光化学法,電気化学法などが登場してきました。この傾向は有機化学の教科書に如実に現れています。すなわち,A.Streitwieser,Jr.and C.H.Heathcock著“Introduction to Organic Chemistry,3版,1985年”では,多くの有機反応を試薬法で,一部触媒法で記しており,光化学は最後の章special topicsの一節として取り上げ,電気化学はありません。これがS.H.Pine著“Organic Chemistry,5版,1987年”では4版までなかった光化学と電気化学が最後の章として記載されるように変っています。このように多くの有機化学者の反応法の重要さの序列は,試薬法,触媒法,ついで光化学法,最後に電気化学法の順でありましょう。

 筆者は1960年代始めより有機電気化学反応を研究の一領域としてきました。有機合成に基礎をおき電気化学法を駆使する我が国の研究者の多くは,1960年後半より従来の有機電気化学(organic electrochemistry)とは異なるエレクトロオーガニックケミストリ,(electroorganic chemistry,EOC)の必要性を提案し,この視点で多くの特異な,または他法より優れた反応法を発展させてきました。この領域は我が国のレベルが格段に高く,文部省重点領域研究「有機電気化学の新展開」(1993~1995年)が認められ,著しく発展しています。しかし,有機電気化学はコルベ反応(1849年)に始まる長い歴史があり十数種の反応が工業化されましたが,その多くは単なる酸化または還元反応であったため触媒法に置き換った歴史があります。1963年Baizerによるアクリロニトリルの水素二量化反応の発見とモンサント化学による工業化に刺激を受け,EOCの新しい学問領域の誕生となったと考えられがちです。しかし筆者はこの考えには必ずしも賛同できません。その理由は,Baizerの発明以前の有機電気化学者といえども新しい電解反応法の開発をめざして研究しましたが,有機反応法として重要で,しかも有用なケミカルズ合成の鍵反応となりうるような反応を対象とする意識が薄かったことにあります。ポーラログラフィーや電極反応の基礎研究は目的が違い,EOCの研究といえないのは当然ですが,上述の重点領域研究の目的のひとつには,題名どおり良い歴史を有する有機電気化学反応を有機反応の一手法として評価しうるような新展開にありまして,事実多くの成果が得られています。

 筆者もこの特徴を強調するものとして,ポリアクリル酸被覆グラファイトフェルトの高分子層のカルボキシル基にメディエータをアミド結合で国定した修飾電極を用いて,カルボニル化合物の不斉還元やアルコール類のエナンチオ選択的酸化反応など他法より簡便・クリーン・有利な方法を開発しています。最近ドイツのある大化学企業が有機電気化学反応をクリーンな未来型プロセスとして評価しその可能性を調査していることを知りましたが,時流でありましょう。

 有機化学の多様な発展とともに,有機電気化学とEOCの同異の議論を別にして電気エネルギーを用いた有機反応が有機合成の一手法として名実ともに利用され,有機化学の教科書においても相応の地位を占めるようになることを期待しております。


(平成8年8月9日受理)
ページ更新日
2012年4月20日