公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

Tetrahedron Lettersの編集を終わって
伊東 椒


 昨年5月末で,11年間担当してきたTetrahedron Letters(以下TL)の極東地区編集委員の職を東北大学理学部の山本嘉則-平間正博両教授に引き継いでいただいた。これで本務以外はすべて御用ずみとなった。この機会にTLの仕事を通じて感じた事を記してみたいと思う。

 年間600報を超すTLの編集の仕事は,どちらかというと内向きの仕事を好み,あまり外出をしない型の人間が適していると思う。それを考えず,IUPAC,学術会議,化研連,その他の外向きの仕事をしていながら,気軽に野副重男さん(現東北大名誉教授)の誘いに乗ってしまった私は,1年目から不適任と悟り臍をかむ思いであった。後から志津理芳一さんを煩わせたが,私自身はどちらの仕事も断れず,結局投稿された諸氏にご迷惑をかけたことをまずお詫びする。

 10年を超す期間にいろいろ諸賢のご参考になるのではないかと思う事件に出会った。最もひどいのはいわゆるdouble publishingとでも言うべきものである。A氏がTLとⅩ誌に同内容の速報を出したり,B氏がTLに投稿した直後に,同内容のフルペーパーをY誌に投稿し,TLの審査員がきついコメントを出している間にフルペーパーが受理され,互いに引用されていない2つの論文がほとんど同時に出版されたケースで,11年間に2回あった。これらはそれぞれの雑誌の審査員,編集者がその事実を事前に知る方法がなく,筆者の科学者として良心を疑わせるものである。

 苦情の多かったのは文献の引用不足である。化学の論文では,その導入部(序論)において,良きにつけ悪しきにつけその時点までの関連した研究を概観紹介し,自らの研究の目的を伝え,その意義を浮きぼりにするのが一般である。(“現代化学”のR. M. Lewis氏による英語論文の書き方シリーズが参考になる)しかし,自らのオリジナリティを強調するあまり(?),先人の業績を正しく評価しない序論があまりに多い。その多くは審査員に指摘されて最終稿では改善されているが,100に1つはそのまま印刷され,既に発表している研究者から苦情を持ちこまれる結果となる。私はこれらの苦情のコピーを著者に送っているが,著者はこれをどのように処理したのであろうか。

 編集委員を悩ませるものに分割発表の問題がある。分割発表にもいろいろあるが,私はここで述べたいのは,同一のアイデアで,方法論も全く同じでありながら,出発物質が異なるため,結果が前報とほんの少し違うという場合である。当然,著者は結果の差を過大評価し,別の論文にする意義を訴え,審査員はこれに反対する傾向がある。微妙なケースに対する判断は胃にわるい。

 TLのように頁数に制限のある速報の場合,「述べるべきことが多いので,つい文献の引用が不十分になる」あるいは「出発物質も結果も異なるので,これを一緒にすることはできない」と著者が主張する場合が時々あるが,他人の論文と比較して自己の論文を公平に評価し,制限された頁数の中で,何を,どのように訴えるべきかを十分考える必要があろう。テーマを決定する時にその意義を考えない科学者は少ないと思うが,研究の完成時は勿論,進行中にも,できるだけ頻繁に研究のもつ意義を再確認し,得られた結果をできるだけ客観的に評価することによって,他人から後ろ指をさされない論文が期待できると思う。これらの引用不足や分割発表は何も日本人に限ったことではないと思われるが,これに対する反応は各国によって少しずつ違っており,日本人はより寛容で,欧米人はより厳格であるように見える。そして私はそこに,本音と建前が別々に存在し,体裁が重んじられ,能力主義が歪められ,事なかれ主義に汚された日本の“科学版”を見るような気がする。

 研究ばかりではない。学生や教員候補者の能力評価などを通して,教授個人あるいは教授会の評価能力を問われている大学でもこのような傾向があり,それはあたかも大学が一心にレベルを下げようと努力しているようにも見える。国内でのこうした調和は国際的にはマイナスの評価しか生んでいないと覚るべきである。

 多くの日本人の業績が国際的に高く評価されており,これを少しでも支えてきたTLの編集に携わった者として日頃の印象を正直に述べた。輝かしい成果の陰にかくれた好ましくない事実から,将来に危惧を感ずるのは私一人であろうか。


(平成7年11月30日受理)
ページ更新日
2012年4月20日