公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

スペクトロメトリーの進歩と共に
北川 勲


 自然科学の発展には研究支援技術の進歩は欠かせません。有機化学を志向して東大では薬学科に進み,1953(昭28)年3月卒業の後は生薬学・天然物化学を専攻して,1995(平7)年3月阪大薬学部を定年退官するまでの40数年。「自然に化学を学ぶ」をモットーに創薬のシーズを自然に求めて天然物質の化学構造研究を進める中で,スペクトロメトリーという支援技術の進歩に絶大な恩恵を浴して歩んできました。

 常に有機化学的色彩の濃い仕事をと心掛けていましたので,グリーンケミストリーの視点から,自然に豊富に得られる化学物質とりわけテルペノイドや糖質を素材として,付加価値の高い化合物への化学変換や合成研究で,有機合成との関わりがありました。有機合成化学協会の会合でも何度か講演させていただきました。その中で,「天然物屋(シロウト)がいま合成をやるわけ」と言う演題をいただいた講演が特に印象深く,それはグルクロニド化合物からアミノ配糖体抗生物質合成へと展開したものでした。

 1960年代私達が測定してもらった配糖体のMSでは,糖部由来のフラグメントイオンが顕著なピークとして観察されました。そして,それらのイオン生成の開裂経路には,光化学反応に類似の様式が推論されたものでした。それで「配糖体結合を光化学反応で開裂できないか」の発想が生まれて,サボニンの光分解を目指した研究を始めました。しかし結局,これはグルクロニド結合がカルボキシル基の光励起に始まる一連の反応を経て光分解される発見となり,「うそから出たまこと」ともいえる,グルクロニド化合物からアミノシクリトール類の合成に展開される結果となりました。

 天然物化学の研究は有機化学の進歩を促してきたことは歴史の示すところです。天然物化学の領域で有機合成化学は重要な分野で,スペクトロメトリーは両分野に共通の必須の研究支援技術です。振り返って見ますと,私達の世代はスペクトロメトリー(その頃“とび道具”と呼んでいました)の進歩に育てられて,今日までやってこられたのだと思います。1953年大学院に進んだ頃の“とび道具”といえば,UVとIRでした。UV(べックマン製)では一検体を測定してスペクトルに画くのが一日仕事でした。後に東大応微研(現・分生研)に自動記録型のUVが入って,マイコトキシン色素のスペクトルが瞬く間に画かれた折の驚きと感激,今もよく憶えています。IRも東大で一台のその頃,研究室の代表がまとめて測定に行くペースでしたので,ある企業研究室のパーキンエルマー赤外分光光度計で測定してもらって,カルボニル基の詳細な解析ができて何と嬉しかったことか,現代の若者には想像もつかないことでしょう。

 1960-1963年米国留学の頃,脂質分析をやっていたイリノイ大学ではステロイドのGLC,含硫ステロイドの合成をやっていたNIHで,NMR(60 MHz)によって9α-SCH3基の存在がわかった時のことを鮮烈に憶えています。友人のDaly博士が南米のコロンビア産毒蛇から微量得たバトラコトキシンのステロイド骨格が,MSによって推定されたのもその頃でした。そして,1964年4月京都開催の第3回国際天然物化学会議で,テトロドトキシンやエンメインのX線結晶解析による構造決定が発表されて,天然物質構造決定の今後に,強烈なインパクトを与えたものでした。以後,毎年の天然有機化合物討論会で,スペクトロメトリーの進歩発展と共に(あるいはそれを促して)天然物化学が飛躍的に隆盛し,超微量活性物質の解明,動的天然物化学,さらには天然超分子の化学へと伸展する推移がよくわかります。様々なエネルギーの電磁波を巧みに使い分ける技術が生み出され,コンピュータの発達によって加速され,それぞれの技術がさらに高度化して今日に至っています。天然物質の抽出分離においても,HPLCや超臨界抽出などで代表される進歩は止まることがありません。

 ひと頃著しかった支援技術設備の格差は,近頃ようやく少なくなってきたようです。新鋭機器による測定を依頼することの多かった私の体験から老いの繰り言。この頃の人達は効率を求める余り情報量のより多い手法にばかり目を奪われて,実は最も適切な手法をおろそかにし勝ちではないか。そして,技術格差がなくなれば,研究者のidentityは,ますます研究者自身のヒトに帰せられることを,肝に銘じて進んで欲しい。


(平成8年2月5日受理)
ページ更新日
2012年4月20日