公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

有機電解のこれからと電子伝達
鳥居 滋


 有機電解は,電子を移動させて活性種をつくり,その反応を制御する化学である。ここでは,どのようにして電子を移動させるのか,はたまた,活性種の運命を決めるのは何かといった疑問を解くのである。

 有機合成化学の領域での有機電解の貢献はまだそれほど顕著でないが, しかし,その可能性が期待される研究分野の1つである。我が国で約30年前に産声を上げた。有機電解合成は,今や中堅の成人としてその齢を重ね,有機合成化学の仲間入りをするまでになっている。その成育の過程を見ると,既存の電気化学(無機電気化学)や電気分析化学を基盤とする狭義の電極反応から,有機合成に似た今日の有機電解合成の方法へと変貌している。すなわち,電極上での化学反応から,電極上のみならずそこから離れたバルク溶液中での化学反応へと,その研究領域は広がり,今日の有機電解合成の輪郭ができあがった。

 この4分の1世紀の時間の経過の中で有機電解は,上述のように電極反応から電解反応へと展開したが,同時に研究の流れも有機合成の核心に触れる方向に向かって舵がとられている。すなわち,電解手法による1)反応活性種の創成,2)反応場の設計と制御,3)間接電解系に供するメディエーターの開発などに研究の焦点が移っていった。また,この4分の1世紀の間には,有機電気化学が上述の無機電気化学とは異質なものであることが明らかにされた。つまり,無樅電気化学においては,金属イオン,金属錨休などの電極上での電子の授受が,電気化学的変化であると同時に化学変化でもある。そこでは2つの概念が表裏一体となっている。他方、有機電気化学ではどうかと言うと,有機分子のほとんどはレドックス性は無く,電極での電子の授受で一旦反応活性種が生じ,続いて化学変化が起こる。すなわち,電気化学反応と化学反応がシリーズになっている。一方で,有機電気化学は、有機反応と異なることも明らかになった。すなわち,有機電解では,少し電解条件を変えることで,1つの化合物を複数の異なる生成物に誘導することができる。また,同じ反応位置に異なる活性種を簡単につくることもできる。この特徴は反応剤や溶媒が決まると自ら生成物が決まる通常の有機反応では考えられないことである。以上のように,近年,有機電解の独自性ともいえる特性が鮮明に浮き彫りにされた。

 さて,我が国における有機電解合成に関する本格的な研究は,1965年頃から始まったと考えられる。それは,公害対策が引き金となって化学工業の生産技術そのものへ抜本的な見直しの要請がなされる少し以前のことである。幸運なことに,このような社会的背景の下で有機電解合成法は環境保全型の技術として,工業化社会に受け入れられた。早くも1975年頃には,有機電解合成法は我が国でも精密有機合成化学工業の生産技術として利用が始まっている。しかし,2,3の例外的な事例をのぞいて有機電解合成の基盤はまだ脆弱なものであった。したがって,基礎研究の充実が強く望まれていた。当時、上述したような,1)反応活性種の創成 2)反応場の設計と制御,3)間接電解系に供するメディエーターの開発といった基礎研究は,ようやく手がつけられたばかりで,他方,電解装置についての学術的研究はほとんど手つかずであった。一方、1970~1990年代は,我が国は世界に冠たる輸出立国としてその経済的優越性を謳歌した時代であり,その結果,円高ドル安となって跳ね返り,1ドル100円時代を迎えて,化学技術もこれに耐える競争力を持たなければならなくなった。つまり,有機電解合成技術は、既存技術が再評価されるのと同じ土俵上で,将来の技術競争に耐えるかどうかが問われることになった。さらに1980年代に入ると,オゾン層の破壊,地球温暖化,海洋汚染,酸性雨,廃棄物の再資源化,地球規模での環境保護など,化学工業を取り巻く社会情勢は目まぐるしく変貌した。

 その後の有機電解の基礎研究における大きな飛躍は,平成5年から始まった有機電気化学の新展開に関する重点領域研究によって,研究の質と内容が飛躍的に充実し,また研究者の層も厚くなったことであろう。今,有機電解の基礎研究では,複雑な電解系における電子伝達のしくみの解明が求められている。そういった意味では,学術的にも,社会的にも,有機電解の真価が問われる正念場に差しかかっている。


(平成8年3月27日受理)
ページ更新日
2012年4月20日