公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

21世紀の化学への期待
安藤 亘


 最近10年間の有機合成化学の成果は絢爛というには遠いようであるが,その数は多大であり,その内容は実り豊かなものであるといえる。特に多環,大環,渡環,包接,積層などの分子構造と反応機構を研究対象とした分野にそれがみられる。興味ある複雑な化学構造を有する化合物の合成研究としては,有機金属錯体を触媒として用いるものや,光を用いての合成などで,反応速度あるいは反応エネルギーを巧みに変換利用する新しい活性化方法がみられる。特に,この数年ではヘテロ原子(14,15,16族等)の特性を利用した高配位化合物などの合成や,反応場すなわち分子のおかれる環境を変えることによる新しい分子の合成などが進んでいる。超高温でのフラーレンの合成は,反応プロセスは解明されていないものの,新しい分子の合成法としての期待が大きい。また炭素以外の元素を用いた炭素類似体化合物の合成として,ケイ素やゲルマニウムの多重結合性や芳香族性化合物が,かさ高い置換基を用いることや,反応場の改良により,安定に,また反応中間体として単離することに成功している。これらの元素は有機化合物と無機化合物の複合領域に位置することから,その物性に大きな期待が寄せられる。これらの成果は,いずれも高度な実験反応装置や,分析機器の進歩,さらには理論化学によるエネルギー計算や構造解析が大きな役割を果たしているといえる。

 これまでの有機合成化学は,生命科学から材料化学に至るまで,幅広い分野における重要な基礎学問のひとつとして発展してきたといえる。21世紀を迎えようとするいま,我々が問われようとしているのは,既存の枠にとらわれないより高い独創性と,新しいコンセプトに基づく研究・技術の発展といえよう。学問および研究の社会ではとかく新しい学問を追えば,古い知識を忘れて,着実さを欠くことも多くなり,反対に古いことだけに拘泥しておれば,新しい学問にうとくなって閃循姑息に流れやすく,時流に乗れなくなる。「古きよきもの」と「新しいもの」をうまく交通整理し,点でとらえず線で考えることにより21世紀における化学全体がみえてくるのではなかろうか。

 21世紀は,人類を取りまく物質環境をより正確にとらえ,多彩な分子変換を駆使することにより,様々な人工構造体を自在に構築する時代になると思う。人工機能物質に生体系のもつ多機能性・環境応答性をいかにして賦与すればよいかなど,夢ある化学が期待される。

 一方,その技術開発の芽ともなる基礎研究の基盤を確立するためには,広い視野を持った人材の育成に関わることが,さらなる付加的な化学知識を生み出すためには必要と思われる。最近,21世紀を担う若い後継者が,国の後押しで大変多く大学院に進学するようになった。しかし,その数の割にはレベルが上がっていないように思われる。第二世代はともすれば先代の成果の上に安易に乗りかかり,わが世の春を謳歌することには熱心でも,次世代のための種を蒔くことを忘れがちになる。若い人達にとって,化学はどのような分野であるのだろうか。物を作ることに対する興味が薄くなってはいないだろうか。厳しさという隠し味があってこそ面白さも生きてくると思うが,どうだろうか。もちろん,これからの時代は,化学の研究もコンピュータを大いに利用することが必要条件のひとつになるのではなかろうか。コンピュータの上で確実な化学実験や先端的合成研究が可能になるかもしれない。しかし“コンピュータへの走り過ぎ”が致命傷になる可能性もある。化学はまだまだ「一を聞いて十を知る」わけにはいかない部分が多い。先端的研究投資は必要であるが,個性豊かな研究意欲を持つ若者の育成への環境作りが,我々にかせられた課題のひとつと思われる。




(平成8年11月12日受理)
ページ更新日
2012年4月20日