公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

創薬研究に携わる生物化学者からの有機合成化学への期待
赤松 穰


 私は大学で生物系薬学を専攻し,3年余り前までは基礎医学系の研究所の第一線で働いていた生物化学の基礎研究者である。従って,すべての研究者がそうであるように,研究の関心は自分達の研究の進歩と展開にのみ絞られており,これまでの有機合成化学との接点は,研究遂行上必要な物質,たとえばそれらは代謝中間体であったり生理活性物質であったが,それらを有機化学者との共同研究という形で創っていただくというものであった。  1年ほど前から薬を創るという仕事に関わり,薬を創るという仕事の困難さを感じつつある今日この頃であるが,その仕事の重要性,つまり成果の人類への還元の際の価値の大きさを支えとして,日夜仕事に没頭している毎日である。

 この仕事についてつくづく思うことは,薬を創るという研究は,まさに,多面的に科学の真髄に迫った成果(真理の探求の結果)の集約によって成り立つものであるということである。つまり創薬のためには,学問的分野を異にする多くの科学者達の協力による学際的研究成果の集約が必須である。なかでも有機化学者が重要な役割を演じているのは言を侯たないが,現代の創薬に対する社会の期待,行政の要求が高くなってくるにつれ,我々生物学者の有機化学者への期待もこれまで以上に高くなり,今後は幅広い学際的な共同研究を,基礎研究レベルからより積極的に行う必要に迫られている。これまでは有機化学者の経験,実績,勘にひたすら頼って,薬になる可能性のある生理活性物質,いわゆるリード化合物(有効性物質)の化学的変換,修飾を行うことにより,有効性の向上 さらには各種毒性など副作用の軽減などを期待していた。しかし,時代は変わってきた。いわゆるリード化合物は,程度の差こそあれ,有効性を示すと同時に予期せぬ副作用を示すという,本来,化学物質が持つ宿命を兼ね備えている可能性がある。我々の身体の中で,有効性のみを示し副作用をほとんど示さない化合物を作り上げることが,創薬の本来の姿なのである。そのような薬物設計を可能にする方法論は,やはり,化学構造と薬理作用の相関に関する経験と情報の蓄積に立脚した,コンピューターによる薬物設計であろう。この方向の将来は大いに期待が持てるが,現在では未だ蓄積情報の不足で期待通りの働きをしているとは思えない。この方向が有機化学者の新しい研究ジャンルとして,大いに発展することを期待をしているところであるが,さらにかなりの時間がかかるものと考えなければならない。

 しからば上記命題に答えるために,我々は今なにをすべきなのか。薬の有効性を高め,しかも予期しないような副作用の発生をも極力抑えるためには,薬物が「作用する臓器の作用する場所へ選択的に運ばれて,機能する」(ターゲッティングされる)ことが最も望まれることである。このような機能的側鎖,つまりターゲッティング・タグが薬物に付いていれば,その薬物はより小量の投与量で有効な効果を示すばかりでなく,薬物の体内への分散によって起こり得る副作用の発生をも抑えられるはずである。また,投与量の減少は,化合物が本来持っている副作陽の生体内での発現の可能件も当然低下させるはずである。さらに付け加えるならば,生体内で薬物の安定性を増す(たとえば分解酵素に対する耐性付加の)ための修飾,薬物の腸管からの吸収性を増すための修飾,細胞膜,オルガネラ膜等の透過性の増大のための修飾等,枚挙に暇がない。現代は生物学の進歩によって,有機化学的にこのような機能側鎖を付けることが可能な程度の生物学的情報が利用できる時代になりつつある。創薬を目指す生物化学者として有機化学者に望むことはまさにこの点であり,有機合成化学者がかかる点にも留意したうえで合成化学の新しい分野の展開をしていただければ,創薬に携わる生物化学者にとっては望外の喜びである。

 サイエンスは何のためにあるのか。それは人類が健康で幸せな人生を送るのに資するものでなくてはならない。その意味からも創薬研究の成果は非常に重要であり,研究者の責任も大変に重い。現代の創薬は当然のことであるが,最新の知識と技術に立脚して行うべきであるという社会の要請があるが故に,是非,有機化学者の創薬研究へのご協力をお願いしたい。


(平成9年7月8日受理)
ページ更新日
2012年4月19日