公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

研究費のバブル時代とならないために
大塚 栄子


 未来学的な意見を述べる座談会があったりして,いろいろと考えさせられることが多い今日この頃である。

 科学研究費も以前と比較すると増加し,多様化した。これからも競争型研究費が増えると言われている。この中には未来投資的な研究費が含まれるということである。従って,将来,国益につながるような成果が期待されるわけであろう。短期的な将来の実用化を問われると研究者は困惑するかもしれないが,新発見や新発明がないと,将来,納税者からのサポートが得られなくなるのではないかと危惧される。

 新しい発見や方法を期待する場合にまず考えられることは研究人口を殖やすことではないかと思う。ボスドク一万人計画はこの意味でも期待される。博士課程での奨学金給付も一万人になったらもっと良い。また,異分野からの研究者が加わった時に学問が進展することはよく知られたことであるが,サポートを得るには苦労する場合が多い。これを積極的に推進するシステムが作れたら素晴しいと思う。システムというよりはその分野に受け入れ体制がなければならないが,それは人の知恵に依存するかもしれない。しかし,なんらかの方策をとることは有効であろう。アメリカで構造生物の分野が急速に発展した背景には何年か前に研究費の申請時に,3次元構造の解析までを含めた計画を要求した成果であると言われている。研究費の申請時に異分野の研究者を加えることを奨励する制度を作れないものだろうか。

 有機合成化学は我が国で残された新しいものを生み出す分野とみなされている。広い意味での有機合成化学の対象には,これまた広い意味での天然物としての生体構成成分や関連物質も含まれる。生物学の革命の時代と言われるようになって何年かが経過した。これは分子生物学の方法が進んで,核酸や蛋白の一次構造が明らかにされたことによる。複合糖質,脂質の構造決定については有機化学的アプローチによるところが大である。30億個のDNA塩基配列を持つヒトゲノムも近い将来明らかにされそうであるが,無限の問題がそこから生まれて来ると思われる。未知の蛋白の存在も予想され,新しいレセプターが発見される可能性も大きい。微量にしか存在しないリガンドを研究するにはまさに有機合成化学によらなければならないであろうし,新規化合物は常に必要になる。

 このようなレセプターとリガンドをはじめとして,DNAとレプレッサー,遺伝子と転写調節因子などの相互作用の解析のために,3次元構造を知る必要があり,構造生物学という言葉が生まれた。方法にはⅩ線結晶回折,NMR,電子顕微鏡などが使われ,進歩も急速である。これらの方法の中でも動的な解析をする場合には様々な誘導体の合成が必要である。オルトニトロベンジル基のような光で除去されるものは放射光を使うⅩ線回折で除去した時から反応の始まる速い動きに対応した構造を知るために有用な化合物である。単に3次元構造を知るためではなく,一分子の動きを観察しようという試みが盛んになり,成功し始めている。一分子の動きが目で見えるようになると生物の中で起こっていることが,物質の動きとして理解されるようになり,生命現象そのものの理解のされ方が変わって来るように思われる。このことは有機化学が対象とする物が無限にあり,生物学にとって非常に重要な学問であるということができる。

 さて,最初に心配した問題に戻ると,新しい有用物質を作るには有機化学が重要であるということになるが,基礎的な研究とそれを発展させて有用なものにするための方策が必要であろう。研究の成果を権利として確保する素早い制度や,時間や労力をかけなくても済むような成果発表の仕方も研究者にとって重要な問題でないかと思う。


(平成9年12月10日受理)
ページ更新日
2012年4月19日