公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

往くに小径によらず~大道はいずこに~
平井 功一


 本協会と私との関わりは25年ほど前,ETHのエッシェンモーザー研留学直前に「チアゾリン誘導体を利用する新規合成反応」と題したキレーション効果の重要性を指摘した論文を書いた時からである。以来何篇かの総説や事業委員,編集委員そして理事等の仕事で多くの先輩諸賢と知己となり,大いに世界が広がった。全く学会の枠にとらわれない有機合成化学協会ならではのお陰である。

 製薬企業の中に身を置き,長い間基礎的な研究に従事してきた自分には当然のこととして新しい反応や独創性のある仕事をしたいと思ってきた。しかし期せずしてプロセス開発研究の分野に足を踏み入れてみると製薬企業にとって効くものを見つけることは第一義的に重要ではあるが,それに続く開発研究も実に重大であることを身をもって認識した。そこには色々な分野が絡んで来るし,目的化合物をつくると言ってもGMP準拠ということともなれば純度が良いことはもとより各不純物が0.1%レベルで一定以下であるような合成法を考えなければならない。それには実用的な合成法として安全性,経済性,操作性,反応性そして選択性を満たすことが要求され,これに腐心することになった。また,最近では環境ホルモンの問題もあり,疑わしい試剤や溶媒の使用は極力避けるようにしなければならない。

 さて現在,コンピュータの必要性や素晴らしさを否定する人は誰もいないが,20年程前にはコンピュータに対する過大な評価や期待が,この方面への単なる人,金,物の投資で新しい薬が生まれるかの如き錯覚を与えた。しかし物事の解釈や後追いのためには都合が良かったが,なかなか思うようには行かなかったのが現実で,その反省も踏まえてかコンビナトリアル・ケミストリーやこれまでに合成した既存のサンプルのアッセイ(酵素阻害や受容体括抗),それも超高速のHTSが流行である。そうなると化合物を沢山持っている方が有利で,差し詰めヤレば出来るが,ヤラねば出来ぬの思想である。この考え方自体が間違っているとは思わないが,世界中で皆が同じ考え方でやっていたのではヤッテも出ない(少なくとも一番では)可能性が高い。

 一方,50年の歴史をもつ分子生物学はワトソン,クリックのDNAの二重ラセン構造決定からコーエン,ボイヤーの遺伝子組換え等の基礎研究を経て今では応用(テクノロジー)として遺伝子の大量複製(PCR法)からさらに効率の良い方法も開発され出し,官民一体となりゲノム研究に続きプロテオーム(蛋白とゲノムからの合成語)研究がスタートしている。また,DDSの重要性は指摘されて久しく,進歩もし実績も上がってきた。最近筆者はDDSにより薬物のデリバリーさえうまくいけば,それで一件落着なのになどとしきりに思ったりしている。このように基礎を踏まえた応用分野への入力が盛んなので,そのうちにきっと上手くいくと思ってはいるが,何よりもしっかりした特徴ある分野(=テーマ)を見つけ開発への目的意識の確立(信念)が重要であろう。

 さて,今年も残すところわずかで20世紀最後の年を迎えようとしている。ちょうど10年前にベルリンの壁が崩壊したが,その出来事の意味は実に大きく,それ以後は価値観が急激に多様化したり,その崩壊につながっていった。世紀末という時代はそういうものなのだと言う人はいるかもしれないが,企業の研究から実生産の流れにも大きな影響がある。精密合成の華と言っても過言でない医薬品の合成には10数工程の反応を駆使するのは当たり前であるが,これを自社で全部をやることば無理で勢い外部の技術力に頼らざるを得ない。こうしてアウトソーシングやバーチャル・カンパニー的な考えはますます強くなり,その良し悪しに関係なくますますインターナショナル化していく。

 昔は何年もかかってやった仕事もアッという間に終わり,情報産業の発展のお陰で一瞬にして良い仕事には我も我もと群がり,皆秀才仕事になり,一体誰のオリジナルか判らなくなる。しかしその中でも真に特徴ある仕事や重要なコンセプトをもったものはいつまでも残る。ビタミンB12が全合成できた頃,もう有機合成もやることがないななどと思ったことがあったが,この学問分野はダイナミックに形を変えながら進んできた。振り返ると大道が見える。小径によらない研究を!そして歴史の判断を待とう。


(平成11年9月6日)
ページ更新日
2012年4月17日