公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

プロセス化学の楽しさ
新開 一朗


 私がプロセス化学の世界に足を踏み入れてから早や20年余りの時が過ぎた。最初に私がプロセス化学研究所で仕事に携わったのは,博士研究員時代に有機合成化学の“反応”に特に興味を抱き,薬理活性や構造活性相関等の生物学主体の研究より,純粋な化学反応の設計や展開に心を引かれたからであった。もちろん,当時は化学工学科での講義以外,プロセス化学に触れる機会はなく,プロセス研究所に入社した時も面接試験で説明された程度の知識しかなく,プロセス化学の“全体像”や,その‘‘奥深さ”等に気付く余地など全くなかった。最初のテーマは,開発後期の動物薬の開発で,確かアデニンのベンジル化反応で生成する目的物の9-置換体と,副生成物である3-置換体の生成比率の検討であった。文献から容易に得られる反応条件を改良することにより9-/3-の生成比は96/4程度まで改善することができた。ところが,2カ月ほど後,副生成物である3-異性体がAmes試験(復帰突然変異試験)で陽性を示し,この異性体をppmレベルで除去できない限り,このプロジェクトは中止との命令が下された。

 再結晶法では異性体の含量を数100 ppm以下にすることは極めて困難であり,はぼこのプロジェクトは中止の方向に動きかけた。この時,“偶然的”とも言える解決策が目の前に降り注いで来た。それは9-/3-の粗異性体比は,通常,重酢酸溶媒NMRより測定していたが,たまたま実験室に重酢酸が品切れており,「これでやるか!」と重硫酸を用いたところ,測定中に9-/3-の比率がみるみる変化し,最終的には9-異性体のシグナルのみとなった。後になれば当然のことであるが,ベンジルカチオンの生成を考えると,化学的には容易に3-異性体の分解性と9-異性体の安定性を理解できる。生成したベンジルカチオンは,アルキル化反応で系外に除去可能であり,事実,このプロセスは工業化され,9-異性体は製品となって無事世に出すことに至った。この実験を通して,プロセス化学の研究にとって,“観察力”と“好奇心”が非常に大切であるという教訓を得た。その後も反応系中のわずかな色の変化や,相の変換,発熱状態,HPLCやNMRでのピークの出現や消滅など,“観察力と好奇心”で,いくつかのプロセス化学の課題を解決したことを思い出す。実際,先のような混合物を濃硫酸とキシレン混合液中に溶解後,80 ℃に加熱し,収率99%で純品を回収するような手荒いプロセス等は,机の上で考えている限りではまず生まれてこない。

 プロセス化学研究で,もう1つ私が常に気にしていることは,まず“疑う”姿勢である。著名な化学雑誌などで反応試薬やその活性中間体の構造などが報告されると,多くの人はそれを鵜呑みにし“疑う”気持ちを持たない。私はこれまでに4種類程度の試薬について,その報告されている活性種が全く別の構造を持っていることを証明し,さらにこれを基に,より良い試薬を設計することに成功した。光延反応でよく知られている3価のリン化合物とアゾ化合物の形成する錯体構造で,リンがエステルの酸素かアゾ基の窒素のどちらに配位しているかを実験的に証明するため,構造解析者との共同研究に2年間もの時間を費やした。もちろん,Ⅹ線で構造は簡単に解析できたが,溶液中での構造ともなるとそう簡単にはいかない。プロセス化学者の中には“疑い深い人”が多いのも何かうなずける思いがする。

 最近は,随分改善されてきているが,プロセス化学者の地位は,企業や学会では低く見られがちである。特にプロセス化学の本質を真に理解されておられない大先生方は,プロセス化学やその化学者を軽視する傾向があり,私も何度か不愉快な思いをした。このような先生に限って,“versatile”とか“efficient”という言葉をふんだんに使用した論文を発表なされてはいるものの,中身の薄いものも多い。反応温度を数度刻みで,反応溶媒比,原料のモル比,触媒のモル比などを数%刻みで検討し,大きなマトリスクの表の中に単に数字を埋めていくことがプロセス化学であると誤解している研究者も多い。プロセス化学を重要視させていくためには,我々自身が脱皮する必要がある。我が社の鹿島プロセス研究所を訪問する度に「化学はやれば必ず出来る!」と言っている。最近では周囲の何人かに共感していただくようになった。


(平成11年2月1日受理)
ページ更新日
2012年4月17日