公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

化学産業の新しい展開
本田 圭


 21世紀を目前にして,化学産業は,持続可能な社会システムの構築を実現するため,資源,エネルギー問題,地球環境保全問題への対応という三重の技術的試練に直面している。さらに,今後ますます発展の期待される情報,通信,エレクトロニクス技術,医療技術分野へのより高度な新素材の要求にも応えてゆかねばならない。いずれも,極めてハードルの高い困難な問題である。

 現在の石油消費の90%以上は燃料用であることを考えると,資源の確保のためには省エネルギー化が最大の課題である。また環境保全の点からは,自然の循環システムに馴染みやすい化学プロセスの開発が求められている。その解決の手段として,最近,バイオテクノロジーの活用が注目されている。特に欧米の代表的化学産業, Du Pont,Dow,Monsant等は,21世紀のキーワードを「バイオ」に定め,化学産業から種子産業へと事業展開を図るのみならず,化学品自体をバイオテクノロジーを駆使して生産する技術開発を進めつつある。

 Du Pontは,炭水化物からグリセリンを経て,遺伝子組み換えバクテリアによって1,3-プロパンジオールに変換する技術を開発し,これを用いて,PETに代わる新しいポリエステル樹脂の企業化を目指している。日本でも,三菱化学が,遺伝子組み換えプラスミドを用いてL-アスパラギン酸を安価に生産する技術に成功した。

 有機合成技術との対抗で,さらに注目されるのは,医薬,または医薬中間体を遺伝子組み換え植物を用いて生産する技術である。Dow社は,医薬中間体の生産を植物を用いる方法で,従来の合成法の工程を1/5に短縮し,生産コストを1/20に削減できる可能性を見いだしたと報ぜられている。

 また,トウモロコシの種子の遺伝子組み換えにより胚部分に蛋白を集積させる技術によるアピジンの生産(Prodi Gene杜),トウモロコシ種子や大豆を用いた人間の抗体の生産等いわゆる「分子農業」(Molecular Farming)の技術開発が急速に進展しつつある。

 以前,石油化学に代わる技術体系として,バイオテクノロジーが関心を集めブームとなったことがあった。しかし結局,効率の低さが障壁となって,医,農薬分野を除いては,アクリルアミドの生産プロセス以外,目立った成功を収めることなく,ブームも下火となった。最近発表されている上記のプロセスは,従来の既成概念を破り,純化学生産プロセスよりいずれも効率が優れるか,または化学プロセスの企業化不可能な分野にまで及んでおり,遺伝子工学の研究成果が実りつつあることを示している。

 エレクトロニクス,医療技術等の高度な技術開発に必要な高性能で純度の高い素材開発の分野でも,精密構造制御技術に関し,バイオテクノロジーの展開がなされつつある。例えば,微生物を使ったポリエステルの構造制御,ポリプタジエンの酵素による構造制御型エポキシ化技術等が報ぜられている。無機化学の面でも,ウイルスのケージを使って溶液系では得られないポリオキソ金属塩系の均一触媒を合成し得ることが見いだされている。

 これらのニュースは,人類が自然から学ぶ新たな知恵は,まだまだ無尽蔵であることを意味している。

 これらのプロセスは,原料面に制約を受けると思われるものの,今後間違いなく現在の石油化学体系のいくらかの分野に代わり得ることが期待される。

 灰色のイメージの強かった20世紀の化学上場に代わって,米国ではすでに農場と一体となった化学工場が一部で稼働を始めているとのニュースもある。バイオテクノロジーを駆使して農産物を資源とし,食料生産と一体となった,緑豊かな化学工場こそ21世紀に相応しい姿であろう。それは決して実現不可能な夢ではないかもしれない。

 日本はこれまで,有機合成化学分野で,諸先輩が優れた数多くの業績を挙げ世界の化学産業の発展に貢献して下さった。バイオテクノロジーの面では残念ながら一歩遅れをとっていることを認めざるを得ないかもしれないが,これからの21世紀を担う若い人達が,以上に概観したような,新しい技術の発見に好奇心を燃やして取り組み,化学産業が直面している諸問題の克服に意欲的に挑戦すれば必ず新しい技術体系が確立され,日本が世界に貢献できる道が開かれるに違いないと思う。


(平成11年4月1日受理)
ページ更新日
2012年4月17日