公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

21世紀は「化学」から「化楽」へ
竜田 邦明


 高校生の時間割を見ると,「学」という字がついている科目がある。「数学」と「化学」である。そして偶然にも,この2つは彼らの嫌いな科目の筆頭である。これは,本当に偶然だろうかという疑問が生じてきた。「化学」を直訳すると,変化を学び,学ばせることになる。本来,「かがく」は学び学ばせるものだろうか。変化を楽しみ楽しませるものではなかったのか。筆者も小さい頃,セルロイドの下敷きを舟形に切り,その端に樟脳をつけて水に浮かべ,水面を走り回らせていたのを覚えている。その他にもマッチ,氷,ドライアイスなどでも進んでいた。正確には何がどうなっているのかは知らず,ただ変化を楽しんでいた。変化を楽しむと言うことは「学ぶ」ことの第一歩であろう。変化をよく観察し楽しむことで,対象物を分析,理解し,今まで無邪気に楽しんでいたものでも,やがて現象の本質に迫ることになる。化学も科学も,こんな所から始まるものである。

 時間割の中にもう1つ「がく」がある。音楽である。本来の意味はともかく,音を楽しむ楽しませるという精神が読み取れる。従って,「かがく」も「化楽」がふさわしい,あるいは「化楽学」である。

 このような視点から現代の有機合成を見てみると,やはり何か「化学」しているようであって,決して「化楽」ではないような気がする。論文もなぜか完璧で,収率も高く理論的解析も完壁である。しかし,新しい発想や概念が最も大切なことは言うまでもない。極論するともっと荒削りな研究があってもいいのではないかと思う。筆者の研究分野の天然物の全合成において収率が重要であることは,痛いほど知っている。また,工業化のプロセスリサーチにおいても,0.01%でも収率が高くなければいけないことは百も承知している。まさに,1%を笑うものは1%に泣くのだから。しかし,世界最初の概念を発表するとき,収率のみにとらわれる必要はない。最初の一歩は違うのである。たとえ収率が5%でも,その概念が世界初であれば,発表する勇気と,受け入れる度量を我々はもつべきである。後に誰かが改良して90%にしても,脚光を浴びるのは5%の著者である。

 その新しい概念は研究を始める前に考えていたものより,研究を楽しんでいる間に突然わきだしてきたものの方が美しいことも事実である。だから,条件検討を苦しいと考えるか,楽しいと考えるかが問題になってくる。それは,自分の考えをどれだけ多く具現できるかということであるから,最も楽しいときであり,そこに,独創性よりすごいものが生じる可能性がある。まさに,「化楽」の真髄である。換言すれば,もっとリラックスして,大層な大義名分も捨てて,自分が楽しみたいから,自分が楽しいから,疑問を解きたいからこの研究を始めた,あるいは,この合成を始めたで良いのではないだろうか。こう考えると,まさに気が楽になってくる。そんな時に,「化楽」の一部が華(art)になるような気がする。

 ついに21世紀に突入する瞬間がやってきた。20世紀は科学技術の時代と言われ,21世紀はライフサイエンスの時代と言われている。しかし,ライフサイエンスが特別なものでないことは肝に銘ずるべきである。なぜなら,生命現象も突き詰めてみると有機反応,有機合成の結果であり,それらがライフサイエンスの基本だからである。すなわち,その有機反応や合成を観察し,「化楽」すればよいだけである。周りの情報に惑わされることはない。

 情報過多の時代の研究者にとって何をいつ読むかは大問題である。論文を読み過ぎると,安易にその中から目標を見つけ国際的評価あるいは国際人を目指し過ぎることにもなりかねない。自分の発想に基づく新しい概念や哲学を楽しみ苦しんで具現化することができれば,その研究は自ら国際的に高い評価を受けるであろう。

 有機合成化学協会誌は,この半世紀以上,脈々と優れた総説,総合論文,ラウンジなどを提供して,有機化学の発展に大いに貢献してきた。何を読んでも,いつ読んでも良い稀有な雑誌の1つである。21世紀にはその流れに「化楽」を意識した新風を吹き込んで,さらに重要な雑誌として発展していただきたいと願っている。


(2000年7月25日受理)
ページ更新日
2012年4月17日