公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

台湾大学で応用有機化学の講義をして
辻 二郎


 5年程前に国立台湾大学を訪れた際,陸教授から化学の面白さを理解させるために,化学の実用性を扱う応用有機化学の講義をやってもらえないかという話があった。昨年私が停年を迎えると早速,時間的余裕ができただろうと正式依頼が来た。企業経験のある私は,かねがね化学の面白さを学生に知らせるのに応用有機化学の講義が重要と考え,園田,亀岡の名著「有機工業化学」を教科書として愛用してきた。しかしこの種の講義は余程具体的に教えないと,退屈で面白くない講義になり逆効果を招く。長期間大学の講義と化学技術にかかわってきた経験を活かし,自分なりに面白い講義をするよい機会と思い,2月から1学期間,毎週2時間,計14回,台湾大学の化学科で応用有機化学の講義をしてきた。

 国立台湾大学は,現在台湾で最も優秀な学生の集まる超エリート大学である。大学院と学部の有機化学専攻学生の希望者が受講した。英語でしかも教科書なしの講義であるので,分かりやすい授業をするには十分な準備が必要と思い,概要をまとめた200枚弱のOHPシートを作成し,そのプリントを学生に配付し,足りないところは黒板を用いて講義した。

 まずはじめに私が化学者に必要と思う次の3つの基礎的認識を強調した。1.科学(化学)技術にはプラスと共に必ずマイナス要因があり,そのバランスのうえに成り立つという見方が重要である。殺虫剤のDDTは第二次大戦中大歓迎され,その殺虫作用の発見者は1948年にノーベル賞を受賞しているのに,1964年環境汚染の原因として製造禁止された。しかも禁止後マラリヤ患者が激増しその使用が再検討されているように,プラスとマイナス要因のバランスは社会的状況により変動する。2.化学工業は技術革新の連続が宿命であり,最良で最終的製法はなく,常に研究開発が鍵である。例えば一昔前,酢酸はアセトアルデヒド法(Hg触媒からPd触媒に変換)で製造されていたが,1960年代メタノール法(Rh触媒)になり,最近はRhより安くて高活性のIr触媒に換わりつつある。このような製法転換の連続が化学工業の歴史である。3.人口,エネルギー,資源,環境問題の深刻さと,その解決に果たす化学の役割については,感情的でなく,具体的なデータに基づく判断が肝要である。

 応用有機化学で我々の生活に最も身近なものは,大量に生産され人間生活を変えた,数多くの合成樹脂,合成繊維,合成ゴムで,これらの化学製品の化学を理解するのに,ただの羅列でなく,実物見本を見せてその製法,物性,利用を説明するのがよいと思っているので,関連企業から提供していただいた,それぞれのポリマーの実物見本を揃えて講義した。特にアクリル系光ファイバー,炭素繊維製品や逆浸透膜など,最新の数多くのハイテク化学製品を手にとってみて,学生は興味深そうであった。

 化学の授業を面白くするのは,化学を発展させた発明発見について,研究の発想,展開,そして成功に到るドラマのcase historyを話すことである。そのため今まで努めて色々話の種を集めてきたので,これは私には得意な講義である。例えばチーグラー触媒の発見とその波及効果は教訓に富んで面白い。ブチルリチウムの合成から,有機アルミニウムの化学に発展し,チーグラー触媒によるポリエチレンの発明となり,ついでナツタ触媒によるプロピレンの重合,ブタジエンの環化から,さらにオレフィンのメタセシス反応の発見に到るまでを,1つの物語として話すには2時間以上かかった。しかも発明発見には,高圧ポリエチレンの発明のようにセレンディピィティがあって,理屈だけではいかない。

 こんな内容の講義を学生は熱心に聴いてくれ出席率もよかった。彼らはかなり英語ができるが ,自由でないこともあり授業中の質問は少なかったが,授業が終ってからいつも数人が質問に来た。全講義の終了後英語のレポートと感想を書いてもらったが,このような内容の講義は今まで聴いたことがないとか,化学に対する見方が変わった等となかなか好評のようであり,独り善がりかもしれないが満足した。また謝辞を書いた寄せ書きをくれるなど,大変楽しい授業を経験できた。


(2000年10月3日受理)
ページ更新日
2012年4月17日