公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

創薬化学研究で必須なもの
早川 勇夫


 私は企業研究者としての大部分を新しいキノロン薬の熾烈な研究開発競争のなかで過ごしてきた。 その研究は作用メカニズムはそのままに薬の完成度を高めてきた研究という意味で,必ずしも独創的とか画期的というものではないかもしれない。しかし,この類の研究の中にも新薬として既存の薬剤と差別化し得る新規知見(主薬理,安全性,体内動態等)を含むことが必須の条件であり,その資質をできるだけ早期に的確に判断する先見性,洞察力が創薬化学研究者に求められる。

 他方,新規性の高い研究標的を狙った場合,当初は独創的に思えた研究が未完のままに手詰まりになってしまうということも一度ならず,独創的な研究の難しさも経験した。このなかには,独創的すぎて競争相手にすら恵まれないいわば「早すぎた研究」もあったように思うが,振り返れば,競争相手がいないから独創的に見えていたということも少なからずあったかもしれない。自分が当事者であれば特に,こういう場合の独創と一人よがりの区別はなかなか難しい。

 キノロン薬の研究開発は今でも激しく,その分,競争相手から間接的に学ぶことは極めて多い。キノロンをはじめとする抗菌薬のみならずCOX 2阻害薬にしてもPPAR活性化薬,HMGCoA還元酵素阻害薬にしても,多くの研究者・企業の切磋琢磨・競争がその成功の大きな原動力であると感じるのは誰しも同じと思う。また,創薬研究には化学,生物,医学の実学的集大成のような特徴的一面がある。その全体は余りにも膨大であり,自前のアイデアと研究だけで完成・完結させることがほとんど不可能と考えられるために,新しく発表される研究論文・特許は研究の飛躍・成功に繋がる「必須栄養」とさえ思うのである。その「栄養」を吸収できなくては競争に勝てない。

 私は競争者の他に協力者にも恵まれてきたと思っている。つまり我々は薬の合成法という点でも,既存の反応を利用させてもらっているわけで,積極的に新反応を開発する訳でもない。基本的には既知の反応の実用的な資質を見極めてそれを徹底的に最適化して使うのである。そのために社外のプロに頼んだりもする。新反応・プロセス開発については臨床試験に入る直前あたりで依存度が大きくなるために,やや泥縄式に社内でプロジェクトチームを作ったりして対応することもある。外国の企業が売り込んでくる中間体や,大学の先生方の開発した新反応を使わせてもらったりもする。結局のところ,やはり餅は餅屋で,必ずしも自前で問題解決しようとするのは得策ではないというのがこれまでの実感である。

 創薬化学は実学である以上,その観点から,①薬の資質を見抜く力が求められること,②いつまでも競争者の出てこない「独創的」な研究は吟味が必要なこと,③競争者が出てきてから勝負が始まること,④勝負に勝つには協力者がいることについて,思いつくままに書き連ねた。乱文はご容赦願いたい。

 ところで,「ビタミン,アミノ酸など,ヒトにとって必須な栄養物質が存在することは,それを合成する能力を自前で持つことよりも,外部に依存するほうが,進化上の価値が大きかった」という見方がある。それと似て,わたくしは創薬研究者として,実に多くの方々のお世話になってきた。研究所の面々はもちろん,大学の先生,他企業の専門家にまで多くの「必須な栄養」をいただいたと思うのである。感謝しつつ,今一つ「進化」を遂げて,新薬を世に送り出すことで,「栄養」をいただいたことに応えたいと思うのである。



(2001年8月6日受理)
ページ更新日
2012年4月17日