公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

研究者とコンピュータの棲み分けの時代
銅金 巌


 かつて,鉄砲という強力な武器の出現がそれまでの“戦”の形を根底から変えたと言われる。今そのことが『有機合成』の分野でも起きつつあるように思う。電気・電子産業・自動車産業・情報産業などに代表される現代の革新技術はコンピュータの発達に負うところが大きい。それは,IC記憶容量ならびにCPU演算速度の指数関数的増加と価格の指数関数的低下に象徴される。

 一方,残念ながら化学(chemistry)の分野は,このコンピュータの利便性を十分には活用していない分野の1つであった。一般的に実験科学(experimental science)として位置づけられてきた化学の研究開発においては,研究者の頭脳に詰め込まれた反応や構造,あるいは物性に関する膨大な化学知識,それらをベースにして閃く「勘」そして額に汗して実験を重ねる中から生まれる「発明・発見」がすべてであり,そこにコンピュータという人工的手段を導入することは,まさに研究者の聖域を犯すものとの認識すらあった。

 ところが,近年,コンピュータの持つ利便性を積極的に化学へ活用しようとする動きが活発になってきた。企業における有機合成研究の現場にも,コンピュータの利便性を徹底的に追及してみようという動きが出始めた。対象化合物の情報調査・解析→分子設計→合成ルート設計→ロボットなどによる自動合成→自動構造決定という有機合成化学の流れの中で,コンピュータが最大限に活用されようとしている。

 まず“合成ルート設計”の分野では,すべての可能なルールの組み合わせ,あるいは既存の類似反応からの類推をコンピュータにやらせてみようという試みが,長年行われてきた。そして今日では,それらのソフトが極めて強大な力を持ち始めている。既存ルートより,より安全性に優れ,コスト的にも有利でかつ副生してくる不純物等々の諸点でより合理的な望ましいルート探索が何十何百のオーダーで瞬時にできる時代になっている。

 “実験による検証”の領域においても,自動化・ロボット化が進んでいる。ケミストに代って実験するロボットの要請は古くからあり,今日では色々な役割のロボットが登場してきている。さらに,最近ではある種の“実験計画法”のソフトを組み込んで,最少の実験回数によって最適条件を自動的に見出すロボットも検討されている。勿論,研究(合成実験)の目的にもよるが,これまで通常行われていたような合成・実験はロボットを使うことによって,量的拡大,すなわち,合成反応件数とスピードは少なくとも10倍-100倍にアップし,併せて質的向上,すなわち,実験精度・再現性をはかり,安全性も確保することは可能な時代になった。これ以外にも『コンビナトリアルケミストリー』や『マイクロリアクター』の進歩・発展には目覚しいものがある。研究・開発の効率化・迅速化をはかる点で強力な武器となりつつある。

 合成された有機化合物の分子構造決定は,質量分析(Mass spectrum)核磁気共鳴(NMR spectrum)ならびに,赤外線分光(IR spectrum)等のスペクトル分析により行われる。ここにも,当然,コンピュータ化・ロボット化の波は入ってきており,ほとんどが自動化されている。

 今後,これらの動きはますます加速されるであろうが,すべてがコンピュータで解決される訳ではない。有機合成化学の比較的単純作業部分を,コンピュータやロボットが代替するということであり,研究者はこれらの利便性を最大限活用する中で,より創造的な仕事に力を振り向けて行くという分業,すなわち,合成研究者とコンピュータの棲み分けがなされて行くことであろう。


(2000年10月17日受理)
ページ更新日
2012年4月17日