公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

雑 感
柿沼 勝己


 木々が色づきはじめ,豊かな実りを感じさせる秋,四季のあるこの国の素晴らしさに感謝したい。人の実りこそ大切である。これには教育が大きな役割を担う。教育に関わる一人として考えさせられることは多い。化学の教育はどうだろう。化学に親しみが持てないと言われてはいないだろうか。身近な情報から少し考えてみたい。

 今年気になったことの一つにダイエット食品による健康被害がある。FenfluramineあるいはそのN-ニトロソ体なる化合物を食品に添加しながら口を拭っていること自体論外だが,他に問題は無いだろうか。誰もが「食」には関心がある。それ故のダイエット食品だと思う。しかし普段は何を意識し,どう考えるのだろうか。講義や講演の冒頭に「皆さんの今の年齢」までに総量どの位の食品を口にしたか見積って体重と較べてみよう」と気楽な話題を問うことがある。何トンという量に驚愕し,その物質から出来上がった人体もまた物質であったと改めて気付く。人生観にも響くかも知れない。毎日の生活で最も大事なことは,自分が口にする物の中味を知り,しっかり選択することだろう。食品と人体という物質同士が出会う時何が起きるか,果たしてきちんと認識できているだろうか。物質の個性を研究し,特に化学結合の形成と切断を主題とする合成化学者にとって,その真の姿の伝達は得意と思われるし,むしろそれは責任かも知れない。さかのぼって,誰もが受ける初等中等教育でこれがきちんと伝えられているだろうか。上のような被害を見る時いささか心許ないのである。

 久しぶりにNHKラジオ「夏休みこども科学電話相談」を聴いた。宇宙,天文,動物,昆虫,植物,気象,それに科学一般などの質問に専門家が回答する。子供達の素直な質問と熱心な回答は心地よかった。でも気になったことがある。ホームページではフラスコが科学一般のシンボルであったが,番組では「化学」に近い質問があまり無かった。もともと質問が少ないためか,化学の回答者は特に準備されていなかった。勿論,科学一般担当の回答者が十分対応できるのだが。子供達に化学という意識はないが,関連する素朴な疑問が湧かないとすると寂しい限りである。教育の場,家庭での話題が影響しているのだろうか。水や空気,食品から毒物・医薬に到るまで,「化学」と「物質」に興味を持たせることが不可欠だと思う。誰もが毎日の生活を何事もなく続けるために。

 夏休み後半,「東工大一日体験化学教室」に出てみた。本学が始めた催しだが,多くの大学で開かれるようになり,参加者の意識も変わってきたと感じた。多くの高校生達は講義に実験に熱心であった。女子参加者が大変に多かったことが印象に残った。かつてある大学で女子学生の増加について話題になり,子供にものごとを伝える役としては母親が最も大きな力を持つので,二世代後まで考えれば女性が増えるのは喜ばしいこと,と述べたことがある。多くの参加者が化学への関心を持ち続け,次世代に真の姿を伝えてくれることを期待したい。

 科学技術創造立国が我が国の国是の一つである。資源に乏しいながら優れた「科学技術の成果」を原資に国を動かす,ということだろう。教育水準の向上が欠かせない。現今の情勢では第三次・第四次産業や一時のIT熱では骨太の幹ができないように見える。「成果」とは実体としての「もの」だと思う。そのためには,我田引水は承知ながら,何としても二・三世代後まで考えた化学の教育が大事である。少子化に向かっている今こそ初等中等教育を充実させる好機であり,ゆめゆめ経済の理由で水準向上を止めてはなるまい。「米百俵の精神」そのものと思えるので,近頃耳にする教員削減の話は,教育水準を向上させるつもりはないとの意思表示に写り,少々心寒いのである。

 制度は変えられなくても我々化学に関わる者にできることもあろう。「化学」や「化学物質」が理解してもらえないと言っても始まらない。専門家でない人に「もの」を見る真の化学の目を少しでも伝えようではないか,「質の良いプリオン」となって。身近から始めてはどうだろうか。まずは家族の心を捉えることだと思う。これが結構難しい。それができたら,友人知人に拡げたい。いつしかそれが果てしなく広まることを期待したい。

(2002年9月6日受理)
ページ更新日
2011年11月7日