公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

「ナイショ」実験の勧め
宇根山 健治


 最近,大学では「ベンチャー精神のある学生」,あるいは,「個性豊かな創造力に富む研究者」の育成,等々と研究における学生の自立性を促す言葉が氾濫している。確かに,企業の方々からは,近頃の若い者は(私には今も昔もあまり変わっているとは思えないが)与えられたテーマを「そつなくこなす」が,何か新しいことを探してくるのはさっばりダメだと手厳しい。(学生だけでなく,日本の企業も・・・,となってはいないか?)将来の科学・技術を担う学生を育てる仕事に就いている私には辛い言葉である。しかし,本当にそうなのだろうか? 何か,大学教育,特に研究活動を通して行う教育において欠けているものがあるのではないかと自問してみた。思い当たることが1つある。それは教官側に大いに責任のあることではあるが,「研究の効率を上げんがために,学生にあれこれと細かな指示を出し過ぎること,良くできる学生にはどんどんとテーマを与えて,論文製作マシーンにしてしまって,論文の数(もちろん,質もだが)という勲章を与えて満足させていること」ではないか。「○○君,君は立派な論文が5報もあるが,この論文のどこが君のアイデアが活かされているの? 君自身が論文書いたの?」。学生諸君,先生から与えられたテーマをこなすだけでなく,おおいに「独自の課題探求」を楽しもう。

 ずいぶん昔の話しで,1972年私がオハイオ州立大学でボスドクをした時の体験であるが,化学科のPh.D.の取得にはoral exam.といって,学位論文のテーマとは全く異なる研究を立案し,テーマの背景と新規性,研究の方法,予想される成果の意義などをまとめ,5人の教官の前でプレゼンテーションをし質疑を受ける(長い場合は数時間)ことが課せられていた。候補の学生は2-3カ月かけて準備をし,発表の1週間前ぐらいに,ボスドクを主体とする聴衆の前でリハーサルをして,揉んでもらうのである。この試験はPh.D.課程学生には研究の企画力,表現力を鍛えるのに大変役立っているようだった。「研究達成型」一辺倒のわが国の学位(博士)授与制度にも抜本的な改革が必要になっているのではなかろうか。

 私の研究室では最初に与えられたテーマでの論文を投稿すると,1-2カ月新しいテーマを考える期間を大学院生に与えている。必ずしもすべての学生に適用できるものではなく,また,残念ながらその成功率はそう高くはないが(15年間で5件程度),すごいのも出るのである。1990年代,私の研究の柱となった含フッ素合成ブロックであるハロゲン化トリフルオロイミドイルは十数年前M2の森元君が提案し,その数年後にB4の水上君が全く新しい合成法を自分で見出してくれた化合物であるが,この化合物の化学の展開で研究室から5人の博士が誕生したし,私も協会賞をいただいた。この化合物はその多彩な反応性により広範囲のフッ素化合物の合成ブロックとして大変有望に見えたが,なにしろ合成収率が悪く研究の大きな障害となっていた。常々学生に「私には良いアイデアが思い付かないので,君達,従来法にとって代わる新しい優れた方法を考えろ」と言っていたのだが,水上君は自分自身が,また先輩が収率の悪い,副反応が多く汚い反応に苦労している間に,実験化学講座を眺めつつ,内緒の実験をしていたのである。「先生,こんなに簡単にできます!」,「すごい!本当?」,これが水上君と私のその時の会話である。

 有機化学反応は論理的に設計したものが必ずしもすべて成功するとは限らない。体系的な知識があり経験の多い教官のアイデアが常に当たるわけではない。体系的な知識の枠の外にあって隠れている「何か」は,一見無茶で常識的でない大胆な発想や,注意深い実験観察などで初めて見えてくることがあるし,予期したのとは異なって偶然の発見により成功する例も多いのである。学生諸君,おおいに「内緒実験」もして,自分のアイデアを確かめてみよう。

(2002年9月12日受理)
ページ更新日
2011年11月7日