公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

温故知新
村井 章夫


 以下の雑文を若き学生諸君に捧げます。

 世はすべからく「創造性」という言葉に満ち溢れ,何が何でも「創造性溢れる効率的な」業績,結果が求められております。私共は「創造性」というお題目に振り回され過ぎてはいないでしょうか。さらに申せば「世に役に立つ学問」という文言にどういう意義があるのであろうか,ひとつじっくり考えたいと思います。

 湯川秀樹博士がある本に「創造とは,同定である。違うものを同じものと思うところに知的創造の基本がある」と述べております。まさにいい得て妙と思います。ほぼ同時期に夭折した有機合成化学者 尾中忠正博士は「創造とは,思考空間において未だ結びつけられなかったものをその類似性により結びつけ,その類似性を拡大し,一つの新しい次元を作り出す事である」と述べております。2001年ノーベル化学賞受賞の野依良治教授の恩師であられる野崎一先生は「外の畑の産物を運び込み育成したものでも,どこから持ってきたのか判らなければ,創造的である」とある本に書いておられました。これら共通に意味する偉大なる言葉は,ただ細分化された分野に止まらず,人間のすべての所作に繋がり当てはまるものと痛感いたします。山本通隆氏が提案される研究者分類によれば,成功の可能性が予測され,実利が保証されれば見事に戦って成果をあげる「D(Developer)型研究者」ではなく,成功の可否が見当つかない仕事に突き進む「R(Researcher)型研究者」こそが本音の創造者と言えると説かれております。これとても,やみくもに突進するのではなく,先人の研究成果をヒントに試行錯誤してはじめて自己のロマンヘの憧れを満たすことができるのでしょう。しかし依然として我が国に「D型研究者」が数多い現状を見る時,建て前ではない本音の「創造性」への議論が大いに沸き上がることを切望するものです。

 現在の我が国における大学全般の浮き足立ち気味の風潮は,いささか心配です。大学に学ぶ本来の意義は,他人に勝つことの「相対的」満足感を得るのとは全く逆で,学問的興味の「絶対的」自己実現に迫る修練の場であると信じます。筆者が入学した頃の大学には,今よりもずっと多種多様の特徴づけ,個性があったように見受けられました。教師も学生も「ロマンチスト」がいかに多かったことかと今は思います。ひまだったからでしょうか。

 本年,ミャンマーとオランダに比較的長い滞在をする機会がありました。歴史的にも文化的にもおよそ全く異なるこの2つの国での滞在中,多くの大学人や学生諸君と接することができました。ミャンマーは熱帯に位置し,研究環境も必ずしも充分とは申し難い点が見受けられました。オランダは先進国としての永い伝統に裏打ちされた素晴らしい研究環境を至る所で実感できました。しかしながら,異なる風土にも拘わらず,双方のお国柄に共通するものを感じました。それは個人の純朴さ,ぬくもり,許しを共有するという思考でした。お会いしたどの方からも自らの学問姿勢,そして自らの人生観に「おだやかな謙虚さ」を感じ取れました。2つの国とも永くつらい歴史を持ち合わせているとは思いますが,それらが淘汰されたものとしての自信に満ちた歴史認識が,個々人の学問観なり人生観なりに反映しているのではないかと感じ入りました。

 かのWoodwardは,「20歳前に既にヨーロッパの学術論文を読破していた」という話を聞いたことがあります。有機合成化学分野に携わるすべての若き学生の皆さん!自らの意志で「歴史を再認識する意欲」を持ち続けて下さい。分野を超えてです。そして「温故知新」の思考を若いうちに是非とも,身につけていただきたいと願っております。ヒョッとしてかつての先人の研究のどこかに「建て前」ではない「本音」の創造心をくすぐるものを感じとれるのではないか。そして学問を自分自身で感動する境地をおのれ自身で掴みとって胸の内にそっとしまっておいて下さい。知的創造心は,一人一人の胸の内にある独自の個性的な歴史観に基づいて培われるべきものであると思います。忙殺の日々,くれぐれも情報過多の波に溺れて己を失わないように願ってやみません。

 以上,至らない老教師の自戒を込めた本音の心境を愛すべき後輩諸君に捧げます。「知恵の輪」程度の接点で。

(2001年10月29日受理)
ページ更新日
2011年11月7日