公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

鑑 識 眼
山本 明夫


 昨年の白川さんに続いて,野依さんが2001年度のノーベル化学賞を受賞されたのは,極めて喜ばしいニュースだった。「先鋒」という言葉が好きだったと言う野依さんが,これまで開拓してこられた,有機金属化学的手法を駆使した有機合成の研究により,世界をリードする先駆的業績をあげ,それがこのように認められたことを有機合成化学協会の皆さんとともに喜びたい。

 野依さんは,京都大学の野崎一教授,名古屋大学の平田義正教授によって抜擢され,20代ですでに,名古屋大学で独立して研究室を持ち,その創造的才能を存分にふるう場を得られた。今回の受賞は,その後のご当人の努力によることはいうまでもないが,逸材に早く独立して研究する場を与えた結果であると言えるだろう。無名時代のイチローの将来性を見出したスカウトの鑑識眼とともに,化学の世界における伯楽の慧眼をたたえたい。若いときに,環境の異なる場に身を置いて新しい経験を積むことが,その人にとっても,外から研究者を受け入れる側にとっても役に立つことを示す例は数多い。日本でも,多少大学間の流動性は上がってきたが,まだまだ不十分である。学部から大学院へ進むとき,博士課程を修了してアカデミックポストにつくときは,他大学に変わることをルールとすべきである。

 文部省が大学院を重点化したときに,流動化を促進する手立てを打たずに,東大,京大から大学院拡充を先に始めたのは,重大な手順前後であった。重点化の時期の遅れた大学は学部学生の囲い込みに走り,東大等では急に定員が増えたことによる問題を生じた。

 日本では,今後生産者人口が急減し,老齢者人口が急速に増加する。従って,一人当たりの生産性を上げない限り,GDPが減少するのは必至である。優秀な人材を育て,技術革新によって世界をリードしない限り,日本の将来は楽観できない。大学側は教育研究に力を注いで,優秀な人材を生みだしてゆかなければならない。

 一方,企業は少しでも優秀な人材を採用して世界と太刀打ちしなければならない。自社独自の研究開発の芽を伸ばすとともに,世界中の高い水準の研究に人より先に目をつけ,そのシーズの内で企業のニーズに合致する研究を選ぶ能力を持つ人の存在が必要である。鑑識眼のある人材が増えれば,その企業の将来は明るい。

 最近は,好むと好まざるとにかかわりなく,グローバル化が進行している。ISO,JABEEその他,世界水準に合わせないと通用しなくなる例,損をする例が増えつつある。その中で,日本がグローバルスタンダードに大きく遅れているのは,博士号保有者の割合である。欧米の企業では,研究開発向けの人材はみな博士号を持っている。博士号は研究開発能力に対する一種の品質保証である。これに対して対応する日本企業社員の大部分は博士の肩書きがない。そのために,優秀な日本人社員も肩身の狭い思いをし,会社も外国の会社との交渉の過程で損をしているのではなかろうか。

 会社の人に聞くと,以前採用した博士課程出身者の中に,視野が狭く,使いにくい人が多かった経験の後遺症があるらしい。これには,そのような博士号保持者を送り出した大学側に品質保証上の責任がある。

 しかし,博士課程に進む学生は平均的に水準以上のはずである。私の経験では,大部分の学生は博士課程期間中に目覚しく成長する。やる気をもって新しいテーマに挑戦し,視野を広げてゆく学生を指導するのは教師冥利に尽きるほどである。研究室を出て企業に入ったこれまでの卒業生のなかでも,博士課程出身者が活躍している例が多く目につく。

 もちろん,修士課程出身の学生の中にも優秀な人材が大勢いる。しかし,人材を送り出す側から見て,博士課程出身者は絶対“お買い得”だと思う。だが,企業側は依然として修士課程出身者を希望している。博士課程出身者に対する待遇も低いままである。博士課程期間における大学での教育訓練の付加価値は全く認めていないことになる。研究開発向け人材に対する要求水準が低いためか,それとも鑑識眼に問題があるのだろうか。

 大学側も博士課程における教育訓練を充実させる必要があるが,企業側もこの辺でそろそろ考え方を変えていただきたいと思う。

(2001年12月11日受理)
ページ更新日
2011年11月7日