公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

Blue Sky Research
野崎 一


 Eine Fahrt ins Blaueという言葉がある(C&EN, July 26, 1999, p.5)。Fahrtはドライブの意味だが,ドイツの化学者R. Criegeeがかつて基礎研究は常にかくあるべしと説き,その弟子D. Seebachもまた,これを好んだようである。Blue Sky Researchとはその英訳だろうか。山本嘉則教授が化学,2002年3月号の巻頭言で,Strategic Researchと対比し,後者の重要性をも忘れないようにと,指摘しておられる。全く同意見である。字引を引いてみると,ins Blaueには「でたらめの」という訳が付いている。またWebster辞書ではblue sky=of no value, worthlessとなっていて,我々が「青」に抱くイメージとは違い,遥かにきつい意味があるのに驚かされる。もともと大学の先生は,筆者自身を含めてわがままだし,頭を押さえられるのは好きではない。Blue Sky Researchの信奉者も多い。設計どおり進む研究なんて「そんなもの時間の無駄だ」と言う人もあるだろう。

 今から半世紀前,有機化学の方法論に物理的方法,スペクトル的方法が導入されて,仕事が大変やり易くなった。しかし反面,研究費の高騰も顕著なものがあって,それまでの牧歌的な空気が失われた。一方には宇宙科学,遺伝子科学,ナノ工学など,脚光を浴びて登場してきた新分野が桁違いの研究費を消費する。こんな要求をちょっと押さえてもらって,化学へ予算を割り当てる。そんな努力をしている人はさぞかし大変なことだろうなと思う。研究費を管理しているのは,化学が嫌いになった,あるいは「嫌いにさせられた」文系の卒業生である。彼らを捕まえてworthless researchを標榜している連中に,それでもお金を出してやれと強制できますか?

 世紀の切り替わりに当たり,2年続きで,白川英樹,野依良治両教授がノーベル化学賞の栄誉に浴された。福井謙一先生以来20年振りのことである。ここにK. B. Sharplessを助けた香月勗教授の貢献をマスコミがさほど取り上げないので,少なからず不満に思っていた。この度2002年の日本化学会賞が贈られたのは,まことに時宜を得たもので,大変喜ばしく思っている。

 大学で一番大切なことは何か。立場はいろいろあるだろうが,学問で生きるのなら,自分の一生を捧げる対象を一日も早く見つけるということだろう。生涯の伴侶を早く探し当て,それに没入すれば,怖いものはない。またそれが無くては,指導者にはなれないと思う。野依さんは研究生活に入っていち早くそれを掴んだのではあるまいか。

 また彼の幅広い人脈は,自分でも大きな財産だと言っておられる。若い人に忠告したいと思うのは,外国での学会には自費を出してでも,出かけて行って交友を世界に広げてほしい。招待講演が当たるのを待つのではなく,積極的にポスター・セッションなどへapplyして,優れた知友を一人でも多く作って欲しい。そんな積極的な交流を通じて自分を磨き,かつ成長させたいものだと思う。国内の友達も無論大切だが,交友範囲は広いほどよい。地球上にはいろんな人々が住んでいて,それぞれ独自の歴史と文化を背負って生きている。いくら優れた研究をしているつもりでも,タコツボ暮らしの自己満足では駄目で,広い世間に出て行かねばいけない。偏屈な職人根性は世間には受け入れられない。そして最後に,いや何よりもまず大切なこと。それはまさに健康の維持である。

 若くして世を去った優秀な化学者と言えば,身近では田伏岩夫さん,高谷秀正さんなどの顔が浮かぶ。しかし一方には長寿の化学者も数多くいる。野副鉄男先生(May 1902–Apr. 1996)は「有機化学70年」という本を米国化学会から英語で出された。化学を楽しみながら長生きするなんて,何と結構なことかと思う。私も今年80歳になった。いつだったか,H. B. Brown先生にいただいたクリスマス・カードにあった次の言葉”Old men last longer,when they continue working”を思い出す。これを金言として健康を保ちたいものだ。

(2002年4月1日受理)
ページ更新日
2011年11月7日