公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

初夢と矢印
富岡 清


 おめでとうございます。に続いて「今年はよい年になります。朝永博士がノーベル賞を昨年お貰いになりました」という正月の挨拶を父親から聞いた。戦争を挑むことでしか成り立たなかった国が,科学の世界で認められた嬉しさであったのだろう。筆者が高枚生だった1965年秋の朝,玄関に届けられた新聞の第一面に,痩身白髪の紳士が満面の笑みをたたえて大きく写っているその横に「ノーベル物理学賞,朝永振一郎博士」の字が踊っていた。「湯川博士に次いで二人目だ,すごいぞ日本の物理は」,「鉛筆と紙がありさえすれば,天才はノーベル賞を取るんだ」と父親がつぶやいた。超多重時間理論など摩訶不思議なものでしかなかった私の心に,ノーベル賞,天才,それに博士という三題話が結びついたものの,そうしたこととは無縁の私には,そのまま時間だけが経過した。次にノーベル賞を賛える報道に出会ったのは,それから大分経った1981年の秋であった。化学賞が福井謙一先生に与えられた。亀谷,伴両先生が「日本の化学もここまできた,福井先生が窒素有機資源の班会議に穏やかな顔で休むことなく参加して下さっていた」と,喜びをにじませて話されていた。すでに少年から大学の研究室の助手となり,しかも博士課程を修了して有機合成化学を専攻する身となっていた私は,「フロンティア軌道理論か,やはり天才の仕事だ」と思いはしたものの,それだけで片づけるわけにもいかず複雑な思いでいた。大学院生の時に研究室のセミナーで「Woodward-Hoffmann則とはなんぞや,Popleが云々」と議論をしていた身には,痛いほどそのすごさが感じられていたからである。京大の実験有機化学と計算量子化学の両輪が,福井先生を育んだという話に納得はしていたものの,ちっぽけなガラス製の反応容器内で起こることに一喜一憂していた身には別世界の出来事であった。

 有機合成化学は,AとBを混ぜて,それにおまじないの化合物を入れると,Cができるという実学に直結する学問である。一本の結合を作るのに「おまじない」が勝負であって,反応式を表す矢印の上と下に研究者が頭を振り絞った工夫が凝縮される。20世紀最後のノーベル化学賞に輝いた白川英樹先生のご業績も,いくら偶然とは言え,それが基盤となっており,21世紀初の栄誉を担われた野依良治先生も然りである。矢印で示される反応式こそが有機合成化学の十八番である。有機合成化学の方法論の焦点が,持続可能な社会を目指す環境保全型のクリーンな合成化学に移っても,やはり矢印の上下に描かれるものが挑戦すべき課題となっている。

 矢印で表される反応といっても,野依先生の化学は,矢印の右側に描かれる生成物の左と右の対掌性が課題であった。今までの有機化学にはなかった新しい目標を,不斉合成が提供してくれたのである。もっとも,それを実現するのに矢印の上と下に描かれているおまじないが中心課題であることには変わりはない。

 有機合成化学以外の分野の化学研究者は,「矢印ばっかりですね,あなた方の化学は」,と言う。面白い物性を持つ化合物を見つけ出し,その驚異的な物性の発現に精魂を傾ける化学者は,白いワイシャツネクタイ姿で,キラキラ光る装置の前で思考に耽っている。誰が見ても,天才に似つかわしいのは格好いい物性屋で,汚れた作業着を着て実験をしている合成屋は労働者である。一昔前に,「ハーバードではネクタイ締めて実験やるんだ」とコーリー研帰りの先輩に伺って,さすがと思ったものだが,日本の実験室の状況は未だ前世紀のままである。新しい建物が建って,同じきれいさでスタートしたはずの生物系の研究室がレストランかと思わせるのと好対照である。

 意欲も高く能力にも秀でた若者を矢印の世界に導くには,夢と希望を振りまくのが一番だとはわかっていても,合成化学自体のクリーンさを演出しないことには話にならない。21世紀型COEを担われる先生方や第一線のプロセス化学の方々に,レストランかと思わせるクリーンな合成化学実験室や生産現場を創り上げて欲しいものである。

 2003年も,「まただよ」と興奮冷めやらぬ有機合成化学界であって欲しいものである。皆さまにとってよい年であることをお祈りします。

(2002年11月18日受理)
ページ更新日
2011年11月7日