公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

グローバル化の実践-フッ素化学と共に
山辺 正顕


 もう自ら実験をしなくなって久しいが,以前は専門を聞かれると,「有機合成化学,特にフッ素化学」と答えた。最近は特定フロン(CFC等)のオゾン層破壊に端を発して「フッ素化学と環境科学」に変ってしまったが,時の流れとはいえ,いささか感慨深いものがある。

 大学での研究生活にピリオドを打ち,就職の道を選んだ時に直面する関門のひとつに「上司とテーマ」がある。こればかりは自分で選ぶわけにはいかないが,この出会いがその後の人生をも決めかねないから厄介である。筆者自身を振り返ってみて,これは全く幸運に恵まれたとしか言いようがない気がする。わが上司はその天衣無縫な行動・態度から「××天皇」と恐れられていたが,国際感覚に優れた,極めて感性の鋭い,骨太の第一級の指導者だった。そしてテーマは生涯の友となった「フッ素化学」であった。

 場所を問わず,相手を選ばず,自らの信念を貫く上司に連れられて数回の国際会議を経験した。人には言えない苦労もあったが,この実体験で学んだことがその後の国際的活動の糧となったことは間違いない。例えば,英語が流暢であるかどうかは別として,自分の言葉で自分の意見をはっきりと主張すること,相手の質問の意味があやふやな場合は必ず聞き返してから答えること,よく「横メシは苦手」といわれる食事の時の話題は自分の土俵で提供すること,そのためには同席の人に合わせられる幅広い文化,歴史,趣味等の教養を身につけておくことなどである。時には,上手下手に関わりなく,ピアノ,パイプオルガンの演奏,歌唱,手品等の披露も存在感をアピールするには極めて効果的である。

 日本のフッ素化学が国際的に脚光を浴びたのは,1976年(昭和51年)京都に第8回国際フッ素化学シンポジウムを招致して以来であろう。この成功は,当時産学のカリスマ的存在であった諸先輩の強力なリーダーシップの下での関係者全員の絶大なる尽力の賜物といえる。それから18年後の1994年(平成6年)横浜で第14回の国際フッ素化学シンポジウムが開催されたが,ここでは「フッ素化学と地球環境問題」がトピックスとして取り上げられたのは記憶に新しい。

 オゾン層破壊ならびに地球温暖化と密接に関係するフロン関連製品の国際的規制への対応は,フッ素化学産業のあり方に根幹的な影響を与えた。筆者自身の活動範囲もそれまでの国内外の関連学会,関連企業に加えて,行政関係,国連関係への対応まで拡大した。1986年米国環境保護庁が主催した「国際フッ素化学エキスパートパネル」に招待されたのを契機として,国連環境計画の技術評価委員に就任し,モントリオール議定書遵守のための先進国・途上国対応を主とする国際協力の枠組みの中で,また新たな国際人脈を形成する機会に恵まれた。

 企業を退職後,2001年に現職に招聴されて,モントリオール議定書から京都議定書へ,オゾン層保護から地球温暖化へと研究の間口も広がったが,旧知の国際人脈ならびに関係官庁のご推挙を得て,昨秋より再び国連環境計画の技術・経済アセスメントパネル(TEAP)のシニア・エキスパート・メンバーとしてフッ素関連化合物の直面する地球環境問題への国際的対応の調査,企画立案等に協力することになった。

 フッ素化学との出会いを契機として,ひたすら走り続けてきたグローバル化の実践を振り返ってみて,あの実体験の教訓に加えて,個人的な信頼関係を培ってきた多くの国際人脈のサポートに感謝することしきりである。

 米国ワシントンDCへ出張の際には,機会を見つけてはアーリントン墓地のケネディの「永遠の火」の前に佇み,目の前の壁に刻まれている有名な大統領就任演説の一節を読み返す。

“Let the word go forth from this time and place, to friend and foe alike that the torch has been, passed to a new generation of Americans – born in this country….”

 多くの出会いに支えられたこのささやかなグローバルな活動と人脈を,次代を担う企業の経営者,研究者にどれだけ伝えられただろうか。内心忸怩たる思いである。

(2003年6月23日受理)
ページ更新日
2011年11月7日