公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

数値基準
山本 嘉則


 数値基準とか数値標準という字を,最近新聞等でよく見かける。ところで,大学の教育と研究についての数値基準はどうであろうか?小学生から始まって大学入試を経て学部修了まで,昔も今も学生は試験によって点数という明確で透明性のある数値基準で評価され,学生自身も教師も世間もこれを公平で公正な評価の手段として受け入れてきた。学生の理解度や達成度は数値で示され,大学がほこれる世間に認められた公平で公正な評価方法である。もちろん大学入試についてはペーパーテストのみに満足せず他の評価方法を導入する傾向も一部にはあるが,大勢は昔ながらの手法を最も信頼性のあるものとしている。大学院入試も,大学入試テストとほぼ同程度に公平で公正なやり方で数値基準に基づき進められるのが一般的である。

 このように,教育について大学は学生を大学院入試までは透明性のある基準で評価している。修士課程になって各研究室に属し,博士後期修了までの学生の研究成果についての相対的・絶対的評価はどうであろうか?この段階で,明確な透明性のある数値基準が設定されなくなる。ある教授は自分の研究室のA君が,別の教授は自分の研究室のB君がすばらしい研究成果を挙げていると言う。しかし,A君とB君のどちらが抜き出ているかは一概に決めにくい場合がある。もちろん圧倒的に一方が素晴らしい成果を挙げている場合は,だれが見ても明白であろうが,ここで問題としているケースはダントツでない場合の話である。このような研究成果の評価における透明性の問題は,博士後期課程の学生だけでなく,助手・助教授・教授の研究成果の評価に対しても同じことが言える。学生に対して明確に数字で成績をつけ順位づけをしてきた大学なのに,研究に関して自分達の順位づけになるとかなり不透明性を維持してきたのは皮肉なことである。

 近年になって研究成果の評価に数値基準が導入されつつあり,ノーベル賞に近いようなダントツの研究成果に対しては必要ないが,研究の達成度を見るための透明性のある1つの方法として考えられているのは,ご存知の(1)impact factorと(2)citation analysisである。論文を何報書いたといって,その総数を1つの指標とした時代もあったかと思われるが,この総数は確かにproductivityを示しているかもしれないが,creativityを示すものでないことは明白である。もちろん,impact factorの高いjournalに多くの論文を発表することは重要なことであるが,影響力の小さいjournalに数だけ多く報告しても,その研究分野や周辺領域に与えるimpactは小さいであろう。従って,(1)impact factorの高いjournalに論文を発表することが1つの数値基準であり,(2)もう1つはcitation数である。100回以上引用されたものが何報あるとか,最高のcitationを得たのはこの論文だとか,あるいは自分のpublication listのcitation数は合計でいくつだとか,色々なやり方がある。自分の研究領域は研究者数が少ないのでcitation数も低いとか,この論文は皆が引用するデータ集とか総説的なものだからcitation数が高くなったのだとか,色々な議論があることは周知のことだが,citation数が高い論文が影響力の大きい論文であることは間違いない。問題はcitationが少ないからといって一概に悪い論文だったとは言えないことであろう。いずれにしても,(1)impact factorの高いjournalにどれだけ発表しているか,(2)その各々の論文のcitation数はどうであったか,を数値基準の1つとすれば,研究分野が異なっても研究成果の発表についてある程度透明性のある評価を下せるであろう。

 もう1つの数値基準は,研究費の獲得数と獲得総額であろう。第三の評価基準は,評価の確立した国際学会にどの程度招待講演者として招待されているかであろう。欧米では,以上3つの数値基準にもとづき明確に透明性のある判断を下しているように思われる。もちろんこれらのfactor以外の,人間的なfactorも加味されているかとも思える。日本では以上3つの数値基準を議論の場にもち出すと,なんとなく嫌がられるように思うのは私だけであろうか?しかし,時代はこれらを受け入れ透明性のある判断を下す一助とすることを必要としているのではないかと思われる。

(2003年4月4日受理)
ページ更新日
2011年11月7日