公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

あたらしい化学の幕開け
池上 正


 わたくしは大学・企業の研究で高分子製造触媒の開発に永らく携わってきた。企業に入ってからは15年間ポリオレフィン製造技術の開発を担当した。中低圧法ポリエチレン,ポリプロピレンなどの製造技術はプロセス,プロダクトともに触媒がすべてを決めるキー要素である。

 1970年代にこの技術にMg化合物を成分とする高活性触媒が出現し脱触媒不要の新プロセスが誕生した。一般に触媒活性が高くなると立体規則性が劣化すると考えられていたが,この触媒はタクティシティを飛躍的に向上させ,よりすぐれた性能のポリマーを可能にした。ポリマーにはつきものの低分子ワックスも激減し溶媒を精製することなく再使用を可能とするなど,よいことずくめの優れた技術となった。まさに迎えようとしていた省資源・省エネルギー,すなわちグリーンサステイナブルケミストリーを先取りした工業技術として完成度を高めていった。一次,二次のオイルショックを何とか凌ぐことが出来たのはこの触媒のお陰である。

 ポリオレフィンの重合触媒にはさらに,カミンスキー触媒,ブルックハルト触媒の開発があり,前述の高活性触媒も含め活性点が均一に制御された触媒群がつぎつぎと提案されてきた。昨年3月カミンスキー,ブルックハルト触媒を中心とする三井化学国際触媒科学シンポジウムが開催された。カミンスキー触媒は共重合性の大幅な改良をもたらし,ブルックハルト触媒はチエンウォークという新しい活性末端の性能により,全く新しい炭化水素ポリマーヘの道を切り開いた。

 触媒の開発は止まる所を知らない。つぎつぎと新たなターゲットが現れる。ポリオレフィン技術領域でも,新規共重合体,極性モノマーの取り込み,共重合シーケンス,などさらなる共重合の制御の研究が活発に行われている。重合制御を司る主役は活性中心の遷移金属と配位子であるが,その配位子の構造がますます複雑化してきて,探索実験が量的にも時間的にもコストがかかっている。目指すところはまさに2000年のJCIIシンポジウムで取り上げられたテーラーメイドケミストリーである。これまでの技術蓄積の上に立って新たな試みが期待されている。限界を乗り越えるにはどうすればよいのか。理論-実験-モデリングのサイクルを巧みに生かしたアプローチに挑戦することがその1つであると思う。モデリングは計算機パワーが十分ではなくまだまだ実際の反応条件を反映できない。新年の日本化学会主催の化学イノベーションシンポジウムでの講演にもあったが, 有機合成の経験に負けるのが現状である。

 いまシミュレーション・モデリングの世界にパラダイムチェンジが起ころうとしている。昨年からNAREGIというスーパーコンピュータを繋いで,大規模計算環境を構築する研究グリッド国家プロジェクトがはじまっている。化学,バイオ,電子・情報などの産業界もこぞって参画しその実証に向けた協力を行っている。100テラから1ペタフロップスという,この強力な計算機環境が出来上がれば溶媒などの反応の環境を組み込んだ実条件での触媒反応のシミュレーションができるようになる。コンピュータの計算能力は年々強力になっているが,100テラから1ペタが実現するのは10-15年後といわれている。科学技術はグローバルな土俵での競争である。アメリカ,ヨーロッパはすでにグリッドシステムの構築を強力にすすめている。日本が彼らの後塵を拝するわけにはいかない。

 化学の世界は原子、分子がベースで発想はボトムアップである。反応そのものが目に見えるわけではない。1原子,1分子の挙動を見ようとする試みがなされているがまだ条件は限られている。これは半導体の場合のようなトップダウンの目に見える微細化のアプローチと較べると良くわかる。しかもこの世界でもすでにシミュレーションによって多くの新しい発見がある。計算化学は第1原理の理論に基づいていて精緻な反応の模様がデータとして得られる。見えないものが見えてくる。新しい,これまでの化学反応のコンセプトになかったアウトプットがでてくる可能性がある。新しい化学の幕開けを期待したい。

(2004年4月26日受理)
ページ更新日
2011年11月7日