公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

ゆ と り
宍戸 宏造


 私事になるが,私は25年来のジョガーである。数年前までは,しばしばレースに出ていたので,ジョガーじゃない,ランナーだ,と粋がっていたが,最近はジョガーを名乗っている。レースに出なくなったからである。会議が増えたせいにしているが,正直に言うと,気持ちに足がついていけなくなり,私より年輩の方々やご婦人方に抜き去られるのが耐えられないためだ。ランナーからジョガーに転向し,何が変わったか,一言でいえば,「ゆとり」ができた。たかが素人だが,レースに出るとなるとタイムが気になり,ついつい日頃の走りにも力が入る。結局,走ることが楽しくて走り始めたはずなのに,いつからか義務化していた,ということである。ジョガーになったら気が楽になり,走ることが本当に楽しくなった。長年,心肺機能を鍛えてきたおかげで,ゆっくり走ると周りがしっかり見える。四季の移り変わりや,植物などの自然の変化を楽しめるようになった。時には立ち止まり,これまでアッという間に過ぎ去っていた風景を眺めて思わず感動することもある。「ゆとり」の必要性を強く実感している。

 私は,学部4年の研究室配属以来,ほぼ35年,一貫して有機合成化学に携わってきた。研究を始めた頃は,さほど楽しくなく,むしろ苦しいことが多かったが,ある時期から何となくおもしろくなり,そのうち本当におもしろくなり,結局,こんな楽しいことはない,という変遷を経て現在に至っている。その間,有機合成化学は目覚ましい進歩を遂げた。進歩というよりむしろ進化と言った方がいいだろう。立体制御法の確立,理論計算化学の導入,有機金属化学の台頭,触媒的不斉合成方法論の成熟,メタセシスに代表される骨格構築法の革命的進歩,と枚挙にいとまがない。その劇的な進化の過程のまっただ中に身を置き,過ごせたことは大きな幸せであり,この時代に生まれ有機化学を選択した幸運に感謝している。当時,自分では前だけを向いて突っ走ってきたつもりだが,今思えば何か「ゆとり」があった。おそらく,変化は大きかったが,その流れはゆるやかだったのだろう。おかげで,思慮深いとはいえない私にも,将来何をやるべきかに思いをはせ,アイディアを練る時間がたっぷりあった。友人と実験・研究について語り合う楽しみがあり,将来何とかやっていけるかもしれない,というかすかな自信らしきものも湧き出てきた。

 ひるがえって現代を眺めると,コンピューターの進歩に伴う機器分析等の爆発的進歩に後押しされ,有機合成化学は,戦術,戦略面でも実験の進め方でも大きく変わった。30年前に1週間かかった仕事は,今なら2日程度で終えることができるかもしれない。論文の投稿,審査や情報交換などもリアルタイムである。膨大な量の情報の狭間に押し流され,止まろうにも止まれない状況にさらされる。もちろん,学生諸君も走らざるをえない。このままでは,大学院生は研究という機械の歯車の一部と化すのでは,と危惧する。大学院重点化は,単に大学院生を乱造しただけ,ということにならないようにしなければならない。

 国立大学法人化は,合理化,効率化というキーワードを我々に突きつけた。学問が多様化,細分化,学際化し,大学院生も増加する中で,教育,研究を支える教員は,その名のもとに減らされる。このような時期にこそ,私は教育・研究に「ゆとり」を取り入れる必要があるように思う。もちろん,ここでの「ゆとり」とは,今,大学生の学力低下の原因となり,大きな社会問題となっている「ゆとり教育」のそれとは全く異質のものであり,個々の異なる解釈に基づいて選択されるべき多様なものであることをお断りしておく。研究に関しては,昨今は国内外で競合するテーマが多く,スピードが強く求められる。「ゆとり」など言っていられない,とお叱りを受けるかもしれない。しかし,速く走りつつも,たまには少しスピードを落とし,ちょっと立ち止まる「ゆとり」を持ちたいものである。視野が広がり,思わぬ展開やブレークスルーがもたらされるかもしれない。脳の持つ創造性を発揮させるためにも良い,という説もある。教育面では,本誌本年6月号の巻頭言で,井澤先生がご指摘,ご提案されていることは傾聴に値する。効率ばかり追いがちな現代人に「ゆとり」は必要であり,spiritual encouragementをもたらすと確信する。

(2005年7月19日受理)
ページ更新日
2011年11月7日