公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

大学教員として「想いは千々に乱れて」
西郷 和彦


 21世紀を迎え,世界の3極北がますます顕在化してきている。米国を中心とするアメリカ圏,ECを中心とするヨーロッパ圏,そしてアジア圏。このとき,日本を中心とするアジア圏と言えるようになるのはいつであろうか。身近な問題として,教育を中心について考えてみたい。

 子供たちの「学力低下」,「理科離れ」が言われて久しい。しかし,子供たちは好き好んで,学力の低下を善しとし,理科離れしているのであろうか。ここは主語を明確にする必要がある。「社会(我々)」が,子供たちの学力を低下させるような教育しかできず,また,理科の面白さを伝えられないために理科離れさせている。初等・中等教育は崩壊寸前である。日本の初等・中等教育制度は,ヨーロッパ諸国に学び,米国に習った歴史がある。歴史は歴史として,諸問題が噴出している今こそ我々大学教員は,それらを解決する日本独自の制度を新たに提案・構築し,基盤を強化しなければならない。

 「学力低下」は,初等・中等教育ばかりでなく,高等教育である大学数育でも話題になって久しい。確かに学生の「ヤル気」に支えられて維持されていた学力が,「ヤル気」の減退と共に低下しているように思える。しかし,それだけが原因であろうか。ここ20年の化学の進歩には目を見張るものがある。我々大学教員は,現代の化学を語るにはその間に蓄えられた知見も基礎として必須であると考える傾向にある。その結果,授業時間数は20年前とほとんど変わらないのに授業内容を盛り沢山にしている。これでは,学生は消化不良を起こし,「ヤル気」も失せてしまうであろう。我々大学教員には,「学ばせたいこと」と「学びたいこと」,「理解させたいこと」と「理解できること」の乖離を埋める努力が求められている。何が大学で学ぶべき基礎であるかを再考するように求められてもいる。

 大学での技術者教育の内容を保証する制度として,日本技術者教育認定機構(JABEE)による認定があり,この認定制度は年々広まってきている。大学がこの認定を受けるためには,学生・教職員の血の滲むような努力が必要である。他方,認定の実務は,JABEEからの委託を受け,学協会を通して各学協会員が行っている。この認定作業にも,多くの時間と多大な労力を必要としている。化学の分野では,認定を受ける側も認定作業をする側も「より良い大学教育を共に実現し,それをさらに改善するためのシステムを共に構築する」を合い言葉にし,多くの苦難を乗り越えている。しかしその実態としては,アメリカ型認定基準を世界標準としている。その結果,学習・教育における卒論研究の評価が大きく分かれている。卒論研究のない米国などには,卒論研究がもつ多くの学習・教育機能を理解できないようである。今こそ,この機能を評価した日本発の基準を主張すべきときではないだろうか。また,このJABEEの認定制度の発足にあたっては,産業界からの強い要請があったと聞く。しかし,産業界にはJABEEすら知らないところが多いのが現状である。JABEE認定プログラム修了生に対する産業界の責任ある対応が待たれる。

 高等教育といえば,化学の分野では大学院教育も重要である。多くの大学では,第一線の研究に触れさせることは有効な教育手段の1つであると考えている。その量については議論の余地があるが,考えそのものに対する強い異論を聞いたことがない。しかし,国立大学では,法人化に伴ってこの教育方法を用いることができなくなりつつある。大学からの交付金は既に,研究以外に必要な研究室維持の経費すら賄うことができなくなっている。

 日本の有機合成化学が世界をリードしていることは,自他ともに認めているところである。このような日本の有機合成化学は,実は広い裾野に支えられている。広い原野で地道に研究を行っている研究者が思い掛けない新しい発見をし,それが世界の新しい有機合成の流れとなった例は枚挙にいとまがない。この有機合成化学における日本の優位性を堅持・強化するためには,次世代を担う若者の教育について実勢な議論とそれに基づく責任ある実行が不可欠であろう。また,経費不足は広い原野を蝕みつつある。一度砂漠になれば,おいそれと緑の広野に戻すことはできない。裾野を保つために,今すぐ行動を起こさなければならない。

(2004年11月26日受理)
ページ更新日
2011年11月7日