公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

創薬と錬金術
森本 繁夫


 錬金術は,人類究極の夢である,鉛を金へ変化させることや不老不死の万能薬を創出すること等を目指して紀元前に古代エジプトで始まった原始的化学技術である。その目標は現代の科学常識で考えれば荒唐無稽で不可能なものであったが,中世時代を経た長い歴史の中で種々の化学物質を取り扱う技術の発展を促し,近代化学の開花をもたらした。その恩恵を受けて発展した医薬開発(創薬)には「夢の物づくり」という錬金術師の思いが継承されている。19世紀末のモルヒネ,エフェドリン等の発見に続き,20世紀に入るとペニシリンを初めとした多数の抗生物質ならびに誘導体が医薬として開発され,各種感染症から人々の生命を救ってきた。その後も夢の新発開発は発展し続け,高血圧,潰瘍,癌,高脂血症,糖尿病など多くの疾患領域で年商1,000億円超のブロックバスター医薬を70品目も創出している。年間総売上げ40兆円(全世界)に達する巨大な医薬産業を支えるのは創薬を担当する「近代の錬金術師」ともいえる有機合成化学者達である。

 現在の創薬ではIT技術やロボット技術を利用した新たな方法論の導入が進められている。ヒト遺伝子情報から疾患関連因子を探索し,それを標的として相互作用する物質を多数の化合物(ライブラリー)から探索し,薬効,物性等の化合物情報からリード化合物を選定し,次いで最適化合成を行う。薬効,毒性,体内動態(吸収,分布,代謝,排出),製剤適性等を評価し,開発候補物質を決定後,ヒトでの臨床試験を経て,問題のない医薬を15-20年の歳月をかけて製品化するというプロセスを採る。創薬化学者にとっては生涯に1品目を開発できれば幸運とも言われる。筆者は市販抗生剤の構造を一部分のみ変化させることにより,予想外な医薬品開発に巡り合う幸運を味わうことができた。このような直感と偶然の発見による古典的創薬に比べ,前記の現代創薬では生命情報に裏打ちされた論理的アプローチが可能である。最近は創薬成果の見直しから新旧方法論の融合が模索されだしている。

 これからの創薬において重安な役割を担う有機(合成)化学者に望みたいことを以下にあげてみたい。①生体内物質相互作用の本質的理解には有機化学が必須であり,創薬標的探索には興味を持って関与すること。②化合物ライブラリーは数より質が重要であり,既存の概念に囚われない独自ライブラリーを構築すること。ここでも標的蛋白の理解は大切である。③創薬の命運を左右するリード化合物選定に責任を持つこと。ただし,自らの経験から扱いやすい物質を選びがちなのは要注意である。④開発候補物質の多くは依然として天然物情報を何らかの形で利用している。天然物探索と誘導体合成も敬遠せずに取り組むこと。⑤最適化合成は合成化学の独壇場であるが,何を創れば良いかを熟考すること。薬効,吸収性,代謝安定性,組織分布,毒性,薬物相互作用等を考慮した論理的薬物設計が重要だが,計算科学の分野は発展途上であり,試行錯誤からの独創性と執着心がなお求められる。⑥プロセス化学こそ優秀な合成研究者の舞台であることを認識すること。⑦化合物の構造解析,薬物動態,製剤化等々の分野でも有機化学の経験を大いに生かすことができる。有機化学を土台に何にでも挑戦する気概と関連分野の人達からの信頼の大切さを認識すること。

 創薬研究過程において薬効と毒性の両面から理想的な薬と思われたものでも,予期せぬ副作用を発生させることが多い。古くはペニシリン ,サリドマイド,キノホルム等の薬害問題が,最近では関節炎治療用Cox-2阻害薬の心血管リスクによる販売中止が話題になった。企業の発展を支える年商数千億円の超大型医薬品の存在が,逆に企業存続の危機を招くという皮肉を生んでいる。生命の原理からすれば生老病死という人生の四苦の中で科学が貢献できるのは「病」の領域であり,副作用を回避した理想の新薬創出は医薬錬金術師の役割であると考える。その不可能とも思える夢に向かって挑戦する中にこそ発見という運も生まれてくるであろう。研究者として「好きなことをして,金になって,世の中の為になる」ということを成就できれば最高の幸せである。将来の錬金術師を目指す,若き有機合成化学者が一人でも多く「夢の新薬」創出に興味を持たれることを切に望みたい。

(2005年1月14日受理)
ページ更新日
2011年11月7日