公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

水を飲むように
西山 久雄


 毎朝,徒歩で通勤しています。小さなお寺の前を通りますが,入り口の貼り紙に何か書いてあって,

 「知識いよいよ進めば,態度ますます謙遜」。

 ああそう,そうね,と最初は特に気にもしませんでしたが,最近人気の韓国宮中ドラマを見ていて,同じようなメッセージをおくる場面があり強くこころを動かされました。医術修練中の見習い医女に教育担当の医務官が厳しく教授する場面です。 「名医などいない。病(병),人(사람),自然(자연)に対して謙虚(겸허)であり,病,人,自然に関するあらゆることを探求する医師。すなわち,謙虚さだけが医者のあるべき姿である」

 知識におぼれ,倣慢,思い込みが強くなり,誤診を生み人を傷つける。聡明なものほどその傾向が強い。深みを持て,と厳しい言葉が続きます。科学者としての自分を思い,学生に知識を詰め込ませ研究に従事させ,それだけとは言いませんが,それが教育と研究だと思っていることが少々揺らぎます。何か無性に反省のこころが沸いてくるのです。あわてて,「梅原猛の授業,道徳」(朝日新聞社)も読んでみました。品格をあらためて問われる時代でしょう。

 若い研究者や科学者,これから研究者や科学者になろうとする方に説教めいた言柴を書くつもりはなく,生協にいって見つけた「科学者という仕事」(酒井邦嘉著,中公新書)をお勧めしますがいかがでしょうか。歴史や先人の言葉に科学をする方法が言い尽くされているので,ここでそれを書くつもりはありません。寺田寅彦やアインシュタインがでてきで愉快なところもありますよ。

 酒井先生の言葉をかりれば,「研究の動機づけと教育」のところで「研究は本来水を飲むように,自発的に,そして主体的に行うものである」とあります。簡単なことではありませんが,無理強いしなくても自然にそのようにできる人が研究者として成長していくのだと思います。ただの理科好きの少年少女でなく,実験が好きで実験すればいいだけでなく,結果をまとめ,論文を発表してこそ完結する一連の作業が,我々の科学研究活動であることを理解することも大事だと思います。

 学生と接していると,ときどき「私はこの分野に向いていないかもしれません」。これはちょっと違っていて,自分がしたいことと,できることは違うのに,したいことだけか,楽に結果が出てうれしいことだけを求めているのでしょう。結局のところ,成人していないか逃げているだけではないでしょうか。そのへんが,研究者として向いているかどうかにつながるような気がします。夢を砕くつもりはありませんが。一方で,研究は頭だけでなく, あるところまで忍耐や馬力がいります。

 私自身,考えてみれば会社と大学あわせて30年も研究をさせてもらっていますが,無理やり水を飲まされたことも無く,思いつくまま好きな水を飲んでいただけの幸せ者で,恩師や友人,学生に感謝している毎日です。若い研究者には,そのような環境を整えるべく政策や大学,学会や支援団体で努力がなされています。有機合成化学の原理や技術も,30年前に比べると格段に進歩し洗練されて来ています。私が東海支部長の時には,「有機合成化学は20年後どうなるか」という若手研究者への難しい宿題もありましたが,ポイントは,さらに時代や社会の要請に添った形へと,より洗練されたものになることは間違いないと思います。

 科学技術白書(平成18年度版1部2章)の若手研究者に対する評価アンケートを見ますと,専門分野の知識,基礎的な知識,協調性,論理性さらに課題解決能力までが高い評価を受けているのに,課題設定能力と社会常識に低い点が付けられています。つづいて粘り強さ,バランス感覚,国際性が低い結果となっています。産学官のシニア研究者の大方の感想と思いますが,大人がよく言う「若いものは」と言うのと同じ感覚もあるでしょう。しかし,そういうものを求めているのも確かです。

 次世代の研究者,科学者を育てる教育機関が重要な役割を担っていることは充分承知しています。その一員として気を引き締めて行きたいと考えています。

(2006年7月3日受理))
ページ更新日
2011年11月7日