公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

化学の良心と未来
小原 義夫


 最近,大学研究者による不正経理・データ捏造の記事をよく目にする。昔からあった,表に出なかっただけというにはちょっと多すぎる気がする。研究資金の配分・運用規則等に遠因があるのか,拝金主義,道徳心欠如という時代の反映で研究者も例外ではないのかもしれないが,研究者のモラル低下は悲しい限りであり,大学研究者は教育者としての使命もあり,その影響は大きい。

 データ捏造は自然科学に対する冒涜でもある。特に化学は過去からのデータの蓄積と信頼の上に成り立っており,それが捏造となれば何を拠り所にすればいいのだろう。実験化学者の信念は「データはうそをつかない」「文献データは再現できる」ことであり,その積み重ねと真摯な探究心が創造と発見に結びつくのが化学の魅力なのではなかったか?化学に目覚めたころの素直な驚きと喜びを思い出してほしい。もちろん間違いや解釈の違いというのは仕方ないが,捏造は研究者の自己否定である。化学者としての責任の自覚と良心の再確認を望みたい。

 一方で化学というと最近あまり世間での印象は良くない。有害物質・環境汚染の象徴のように言われ,人工・合成は嫌われ無加工・天然が好まれる。「化」という字が「化け物」を連想させるからか?(実際「科学」と区別するために「化学」を「ばけがく」と言ったりする)

 しかし,「化」は「変化」「進化」の「化」であり,化学の基礎科学としての汎用性の広さと実学としての有用性を表している。その対象は,錬金術から染料・医農薬・石油化学・電子材料・バイオと時代とともに移り変わっても,絶えず実学として有用物質を生み出し,基礎科学として新知見を提供し,諸分野の発展を支えてきた。

 工業としての化学は産業革命時代の欧州に遡り,以来さまざまな製品を供給することで社会の発展に寄与してきた。重化学,石油化学,ファインケミカル,スペシャリティケミカル等その業容は必要に応じて変化・拡大してきている。C&ENでは毎年「Global Top 50」という特集記事で世界の化学企業のランキングと解析を行っており興味深い(C&EN, Aug. 5, 1996 and July 24, 2006)。1990年と2005年のランキングを比較してみると,1990年ではほとんどが先進工業国の伝統ある化学会社であったが,企業再編,石油会社・新興国の台頭を経て2005年では新興諸国から6社がランクイン,またTop 10内の石油化学会社が2→5社となっている。その結果1990年の50社中,2005年に企業名が残っているのは27社にすぎない。その間,当然業容は変わってきており,時代の波に合わせて変化できた会社が生き残ってきたと言える。ちなみに日本企業は11→8社。

 弊社は幸い120年続く化学会社だが,主力事業は肥料→石油化学→農薬→電子材料と変遷してきており,やはり変化・進化こそが生き残りの必要条件となっている。

 さて,今後の化学はどういう方向に進むべきなのか? 最近,化学= chemistryの役割についての記事が掲載された〔Nature, 442, 500(2006)〕。化学が諸分野の便利なツールとしての役割にとどまらず,科学として社会のため目指すべき大題目を持ち得るのか?化学の特徴は分子レベルでの現象解明と物質の創製である。これをベースに6つの題目が呈示されている。(1)目的とする機能・動作を有する分子の設計法(2)細胞の化学的解明(3)エネルギー・宇宙空間・医薬に必要とされる物質の合成(4)思考・記憶の化学的解明(5)地球生命の起源と地球外生命の可能性探求(6)すべての元素の組み合わせを可能な限り活用した展開,どれもチャレンジングなテーマである。

 将来のためには昨今の理系嫌いを憂えてばかりはいられない。化学の意義と魅力を次世代に伝えていくことが我々の役目でもある。幸い,夢化学21等の継続的取り組みや,白川先生・野依先生・田中先生の相次ぐノーベル化学賞受賞で,化学のイメージアップには有利な状況ではある。中でも有機合成化学は物質創製という化学の特徴をもっともよく現している学問であり産業である。

 先頃,韓国で開催された第38回国際化学オリンピックで日本の高校生が金1個,銀3個のメダルに輝いた。2010年には日本での初開催が予定されているそうである。若者たちには夢と希望を持って化学の世界を広げていってほしい。化学にはそれだけの可能性と魅力があるはずです。

(2006年9月31日受理)
ページ更新日
2011年11月7日