公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

“ものづくり”のこころ
浦田 尚男


 今年は新年早々のうれしいニュースで幕が明けた。米・トンプソン社の,1995年1月から2005年8月末までに発表された論文が参考文献として引用された回数を調べたランキングによると,不斉触媒反応分野では,研究機関別で東京大学,京都大学が1位と2位を占めたほか,名古屋大学も5位に入ったというものだ。研究者別でもここに挙げた大学に所属した著名な先生方が上位3位を独占した,という報告であった。日本のこの分野での先駆的な研究が集中的にそして精力的に行われてきたことを意味しており,併せて世界をリードする成果を世に出し続けていると言える。日本全体の不斉合成技術の優秀さは高く評価されており,これは日本の先輩研究者たちの業績であり,我々も後に続きたいものである。

 さて,有機合成化学は“ものづくり”のツールであり,ありとあらゆる有機化合物を提供できる可能性を秘めている。有機合成の研究を経験した研究者は,“ものづくり”の心を身に着けており,製造業に身を置く筆者にすれば,有機合成屋は企業の中でもつぶしが利く人材である。我々製造業は,お客様に決められた量,定められた品質,そして適切な価格で製品を提供する必要がある。お客様にとってみれば,製品の造り方に関心があるのではなく,製品の品質・価格に加えて安定に供給されるかどうかが問題となる。造り方に注意を払うのは特許の問題を含め製造側である。この製造側というのを有機合成化学者に置き換えてみると,今後の有機合成化学者育成への取り組みが見えてくるのではないだろうか。

 有機合成化学者の“ものづくり”への動機付けは,まだ作られたことのない化合物を作りたい,とか,何とか別の作り方を提供したい,といったものだろう。研究の始まりは,小さなスケールだろうし,反応条件,反応の種類には気にせず可能性を追求しながら作り方の研究は行われる。最近は,クロマト分析技術の進歩により,生成物を1つ1つ分離精製することなく微量化合物の同定が可能となり.研究の効率化も促進されている。作られた化合物が保有する機能が明らかになるにつれて,その必要性と重要性が明確になり,より大量の化合物を手に入れる必要が出てくる。この段階になるとすでに企業の研究活動のステージといえるだろう。さて,スケールアップする段になって,小スケールでは問題にならなかった点に大きな課題をはらんでいることが多い。例えば,原料が安定的に入手できない,大スケールでは実施困難な反応条件を設定,副生物分離が困難,そして大スケールでは異なる反応性が見られる,等々である。抜本的に反応ルートの変更を余儀なくされるケースも否定できない。また,製造コストをはじいてみると,そのコストの高さに驚き,いかに無駄なことをしているか,という改善点も見えてくる。その結果往々にして,オールドケミストリーに頼ることが多い。『製造業は,お客様に決められた量,定められた品質,そして適切な価格で製品を提倶する必要がある』と先に述べたが,製造研究での再現性発現,一定の品質を維持することの難しさ,優秀な技術を適切な価格へ転嫁,そして環境への配慮等を経験し,課題を克服することにより,有機合成化学の大変さだけでなく楽しさも実感できると信じている。

 近年の有機化学の多大な進歩に伴い,学生たちは非常に多くのことを学ぶ必要がある。一方卒業研究以降の大学内の研究活動は,狭い範囲の研究となっている場合が多いと感じられる。専門は?との問に対して,有機合成,と答える新入社員が多いが,その経験を訊ねてみると1つの反応を一生懸命研究していた,というケースが多い。その反応に関する知識は豊富であるが,それ以外の反応や実験の経験が少なく,有機合成化学者と認定するにはやや抵抗を感じる。一連の有機合成に必要とされる操作をしっかりと身に付けさせることも大学での研究教育という観点で重要であろう。今後有機合成は,医農薬といった本流の分野だけでなく,異分野との関連も益々強くなっていき,有機合成化学者の活躍の場はどんどん広がっていく。製造業の研究開発の守備範囲は広く,勉強することは非常に多いが,その分達成感も大きい。“ものづくり”の醍醐味を企業の中で経験してみませんか?

日本経済新聞 2006年1月6目付朝刊

(2006年3月16日受理)
ページ更新日
2011年11月7日