公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

教育は研究の基盤
福山 透


 私は1995年8月にアメリカから帰国したが,実際に実験室が完成して日本での研究を開始したのは翌年の5月上旬だったので,ちょうど研究室開設10年ということになる。この節目にあたり,私が大学生活で日ごろ思っている雑感を記しておこうと思う。周囲を見渡すと,確かに研究環境は徐々にではあるが改善されてきており,以前なら外国からの客人にはとてもお見せできなかった,狭くて劣悪な環境の実験室もほんの少しなら見せてあげても良いくらいになった。新築された建物の中にある実験室ならなおさらのことだろう。比較的高額な競争的研究資金も以前に比べればずいぶん増えていると思う。政府も科学者も天然資源の乏しい我が国が生き残っていくためには知的創造産物を生み出し続ける必要があり,そのためには研究レベルの向上が必須であるという点では一致している。私もそうは思うのだが,「お金さえあれば良い研究ができる」と思ったことは無い。勿論,研究費は重要で私もお金は欲しいが,大学で良い研究をやっていく上で一番重要なのは,研究者自身の質の向上とその研究者が育てる学生の質の向上,つまり教育ではないかと思う。残念ながら現在の日本の学部数育と大学院教育は私が知る限りお世辞にもレベルが高いとは言い難い。特に私が属する薬学部では講義科目が細分化されすぎており,1週間に1時間だけの講義では,余程熱心な学生でないかぎり実力がつくとは思えない。大学院講義も隔年で,修士2年の後期に私の講義を聞いたって「少々手遅れではないの」というような感じである。また,助手が正規の講義を担当できないのも帰国してから不思議に思ったことの1つだった。何度も講義をすることで,教える本人に基本的なコンセプトがしみ込み,独創的な思考を育む土壌を広げることになる。とはいえ,教育改革など一朝一夕にできるわけもなく,少なくともやる気のある学生たちに有機化学の面白さをわかってもらうために,有機合成化学協会編として「演習で学ぶ有機反応機構」を刊行した。やはり,本人の向上心と知的好奇心を刺激することが「始めの一歩」でありこれにはそれほどお金はかからない。

 私の専門である天然物合成をやっている若手研究者と話をしていると,「アメリカの某大先生が同じ天然物を合成しているのでとてもかないません」という弱音を耳にすることがある。多勢に無勢という論理であるが,竹槍でも鉄砲に勝てるという気概を持ってほしいと常々思っている。確かに一番乗りは無理かもしれないが,たとえ数年遅れでもこれぞ本物というものを世に出せば良いのである。こういうところにも教育の重要性が見えてくる。実験に追われまくって自分の頭で考える習慣を身に付けない学生は,独立してからも他者の研究に左右されすぎることにならないだろうか。大切なのは「自分の仕事」として何ができるかということであり,独自色を出すために己を磨き一騎当千の研究者になれるように努力することだと思う。

 近ごろ,国際化の名のもとに小学校から英語を数えようという風潮がある。大学でも学生の英語力をアップさせ,さらに海外から優秀な留学生を集めるためにも英語で講義をする必要があると唱える人もいる。しかし,日本の大学の講義を英語でしたところで,優秀な留学生が集まるわけがない。彼らは「生きた英語」を学ぶためにアメリカやイギリスに留学するのだから。第一,「なるほどうまい!」という発音で英語を話せる教員(小学校も含め)がはたして日本に何人いることだろう。私は22年間もアメリカで暮らしたが英語は苦手であり,平均的日本人よりは多少英語に慣れたというだけである。勿論,日本が世界を相手にしていく上で英語が重要であるのは言うまでもない。少なくとも有機化学の分野で日本人の英語アレルギーを少しでも改善するためには何ができるかを,有合協出版委員会の一員として只今思案中である。まだ構想の段階ではあるが,有機化学用語(試薬,反応,化合物名など)をクリックすればネイティブが発音してくれるMacintosh-Windows共用のソフトを私の研究室員の協力を得て作りたいと思っている。

 とりとめのない雑文になってしまったが,教育こそが研究の基盤であるという思いを理解していただけたら幸いである。

(2006年5月3日受理)
ページ更新日
2011年11月7日