公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

真に無駄の無い化学を
碇屋 隆雄


 グリーンケミストリーにもとづく無駄のない「ものづくり」の重要性と必要性は,議論され始めて久しい。これらの鍵となる言葉は,学会報告や論文の枕詞としてしばしば登場するが,その枕詞を受けて結論が示されない場合も多い。ここではグリーンケミストリーの重要性について改めて述べるつもりはないが,少し視点を変えて考えてみたい。

 化学・技術の歴史を振り返ってみると,化学における革新は内なる要因だけでなく,その時代における社会的要請などの外的要因を強く受けてもたらされる場合が多く,その革新によって新たな化学が創出されてきた。石炭から石油へと利用資源の転換が,高分子化学や有機金属化学など新たな学問の創出を促すとともに,合成化学や有機化学工業など既存の化学に一大変革をもたらしたように。学術は時間をかけつつも外からの要因に的確に対応して,その時代における無駄を抑えた合理性のある化学へと変貌してきている。結果として創出された化学はいわば文明の尺度にもなっている。今日,我々はこれら先人の積み上げた英知の上にさらなる革新と蓄積を同時に行い,次世代に誇れる化学を造り上げようとしている。しかし地球や社会は前世紀のように寛容で我慢強くはなく,我々には必ずしも充分な時間が与えられていない。地球の恩恵を一方的に享受して環境への配慮を欠いたこれまでの化学は,今まさに大きな変革を迫られている。化学に変革が起きれば,それが再び社会の価値観の見直しや新たな文明創出の引き金となるかもしれない。

 私どもは,平成18年度から「協奏機能触媒」を主題に文科省科学研究費特定領域研究を推進している。地球への負荷を極力低減する「ものづくり」には,革新的な触媒化学が必要不可欠であると考え,大いなる志と強い意気込みをもつ100名近い研究者が結集している。単なる物質変換を支えるこれまでの触媒化学を,社会と融和して複合的かつ学際的領域に役立つ学術へと変革するために,触媒設計における新概念の創出をめざしている。

 触媒は古くから我々の生活に非常に密接な関係にある。19世紀初め,白金の燃焼に触媒原理を見出して,それによって多くの炭坑労働者やカナリアの命を救ったように,また20世紀初め,アンモニア合成触媒の発見により多くの飢餓を救ったように,さらに20世紀の半ば,オレフィンからのプラスチック合成触媒の発明により文明の新展開をもたらしたように,触媒化学はその担い手としての役割を果たしてきている。同時に社会への負の影響や触駄も多くもたらしてきたのも,残念ながら事実である。次世代でも触媒の役割は,無駄のない「ものづくり」において揺るぎないものであろう。加えて,エネルギー,資源,環境における諸課題を解決する有望な手段でもある。触媒化学が真にグリーンケミストリーに役立つ基盤科学となれば,次の文明の担い手になることも可能であろう。

 近年,ノーベル賞選考委員会は,野依-Sharpless,Grubbs-Schrock触媒の発見をグリーンケミストリーへの多大な貢献と高く評価している。力量ある究極の効率と多彩な機能を追求する過程で発見されたこれらの卓越した触媒が,発見者の当初のねらいとは多少異なるものの,グリーンケミストリーとして評価されたことは意義深い。このように化学は時として意図を超えて美しい輝きを放つことがある。だからと言って目標に到達しない研究が意味のない無駄なものであると言うつもりはない。なぜなら,多くの研究は崇高な目標に向かっているはずであり,その中で時として美しい輝きが放たれる。そこにこそ化学における革新が生まれるであろうから。したがって本来,無駄な化学は存在しないはずである。

 最近,E-factorやAtom Economyの新概念を提唱し,合成化学に革新を求めるSheldon先生やTrost先生の講演を聴く機会に恵まれた。結論で枕詞をしっかり受けてグリーンケミストリーを実践する講演は,迫力と説得力に富み,聴く人を魅了した。同時に枕詞だけの発表や数のための論文の乱造など無駄な化学は厳に慎むべきであろう,とも感じた。意図を超えたときの研究や崇高な枕詞を真摯に受けて実践する研究は,光輝き美しい。そのような意味で無駄のない化学を実践したいものである。グリーンケミストリーがその引き金になればと想う。

(2007年8月27日受理)
ページ更新日
2011年11月4日