公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

今こそチャレンジの時
北 泰行


 私は,大阪大学薬学部および薬学研究科で有機合成化学領域の職員として36年の歳月を経て,来年の3月に定年を迎えようとしている。この機に大学における『ものづくり』について思うことを述べてみたい。

 21世紀に入り,我が国は科学技術立国を目指し,国家的総合戦略としてバイオ,ナノ,情報,環境の4分野から,ものづくり,エネルギー,ライフサイエンスなどを含む重点分野を推進している。私の周辺の研究領域でも,ゲノム科学,テーラーメード医療など分子を扱う化学と医学の接点で急速な展開が見られる。また,国立大学が法人化され,グローバル化や合理化の名の下に企業の合併,再編成が活発に行われている。にもかかわらず,今なお我が国の研究効率の悪さが指摘されているのはなぜだろうか。

 例えば,私が関与する有機合成法の開発と天然物の全合成分野では,合成が容易な低分子化合物もしくは供給が十分な天然物や発酵法により容易に得られる化合物を用いる研究を除いて,ほとんど創薬に結びついていない。特に大学で行われている,構造が複雑で自然界には微量にしか存在しない天然物の全合成達成というような高度な研究も,アカデミックな評価がなされると研究が終結してしまい,企業の研究者との連携が少ないこともあって,貴重な成果のほとんどが埋没していると言っても過言ではない。

 自分のことを振り返ってみても,もう15年程も前の話ではあるが,もう少しで糖尿病薬を世に出せるのではないかと期待した経験がある。優れた生物活性を示す化合物があったのだが,天然からはごく微量しか得られず,合成法がなかった。この人工合成ができないかとの企業からの依頼で,我々は,自分達が開発した新合成反応を鍵反応として用いて,目的の化合物の全合成を達成した。当初は,数十mgを合成するのがやっとであったが,企業はこの合成ルートに巨額の資金と人員をかけて,ついにkgという大量スケールで合成することに成功した。企業と協同で国内および国際特許を取得し,動物試験から臨床第I相試験,第II相試験と進み,全国の大学病院で治験が実施された。しかし,最終的には創薬に至ることはなかった。試験管レベルや動物試験では,非常に有効であり副作用も皆無であったのだが,こと人に対しては,動物試験ほど効き目が見られず,さらに2番手や3番手の化合物,いわゆる適切なサクセッサを捜し出すための分子設計技術が当時はそれ程発達していなかったことも不運であった。

 しかし,現在は国の方針に加え,生物評価システムの開発,タンパク情報とコンピュータを駆使する分子設計研究が飛躍的に進展し,他領域や企業の研究者とが連携して,真正面から創薬に挑戦できる背景が整ってきたと言える。

 我が国の有機合成化学のレベルは世界のトップクラスであり,優れた成果が出ているところには,必ずと言って良い程,優れた人材が育っている。大学も研究成果とその評価に応じて研究費が配分されるシステムに変わりはじめ,激動の時代を迎えている。今後,リーダーが次世代の人材を育て,使命感と倫理観を持って,向かうべき方向や目標を設定し遂行する方策を打ち出すことが肝要である。歴史的に見ても,激動の時こそ真の逸材が育つ好機であるといえよう。21世紀の『ものづくり』もまず,『ひとづくり』と,目的を方向づけるための情報提供,そしてこれらを支える組織と制度を確立せねばならない。そして特に大学において『ものづくり』に携わる若い研究者は,資金獲得のため,ベンチャー立ち上げのためというような近い目的にとらわれた研究を強いられたり,はやりの研究を追いかけていてはならない。今こそ独創的な個性ある研究に向かってチャレンジする時である。その上で,自分の研究のどの部分が,他領域や企業の研究者と連携し,『もの』として発展し得るのか,鳥轍図的な視点で絶えず自らのアンテナを張って夢を抱いて明日を目指して欲しいと願っている。

(2007年9月28日受理)
ページ更新日
2011年11月4日