公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

自ら考え、自ら行動する
大水 博


 最近,大学の先生方から「今の学生は勉強することが多くて大変だ」という話をしばしば耳にする。「我々の学生の頃と比べると有機合成化学が格段に進歩し,教科書も分厚くなっているし,カバーしなければならないジャーナルの内容も多岐にわたっている」ということである。私のような企業の研究所の管理職にはこういう話が実感として捉えきれないのだが,採用面接や新入社員の発表会などで見聞する研究内容は,確かに高度に専門化され細分化されているように見受けられる。ただし,応募者や新入社員が研究内容をしっかりと把握しているかどうかは疑問が持たれる場合も多く,それを見極めるのが我々の仕事でもある。つまるところ,内容の良否は指導教官のレベルを反映しているのであって,学生の責任はわずかではないかというのが我々の感想である。従って,我々が重視するのは研究内容の良否というよりは,むしろ自分でどれだけ考えて,どれだけやってみたかということである。勿論,指導教官の方針を着実に行うこと,あるいは行えることは重要ではあるが,指示待ちではなく,指示の前に何か言えて,何かできるということを期待したいわけである。しかしながら,無理からぬことかもしれないが,多くの場合には先生の指導の範囲を超えられないようである。これはひとつには修士課程の学生にとって採用試験の時期が早すぎるということもあるが,博士課程の学生の場合にも頻繁に見られる現象である。通常,採用試験の約1年半後に入社して来るのであるが,この印象は大きくは変わらない。

 一方,企業の研究所ではどうであろうか。私は製薬企業の創薬研究の経験しかないので,この分野の研究に関してしかモノを言えないのであるが,私が田辺製薬に入社した1980年代前半と現在では研究所は大きく様変わりしている。当時は,大学と同様な設備を有し,同様な実験ができることが自慢であり,創薬研究も有機合成化学的に化合物群を合成することが中心であった。その後,合成手法としてコンビナトリアルケミストリーや並列合成の技術や機器が開発され,創薬研究の現場は大きく様変わりした。すなわち,化合物を1つ1つ手作りしていたものが大量生産できる状況になった。また,その化合物を評価する薬理,薬物動態,毒性部門においても,特にこの数年は,探索レベルで非常に多くのことができるようになった。創業研究の過程では,それらの探索レベルで得られる評価結果が選出基準のすべてを満たさなければ,開発候補化合物を手にすることはできない。その意味で,創薬のハードルは年々高くなっているといえる。従って,合成研究者としても,有能なメディシナルケミストであろうとすれば,私が若手であった時代と比較してはるかに多くのことを学び,知らなければならない。その意味で,「最近の創薬研究に携わる若手研究者は非常に忙しい」と言わざるを得ない。残念ながら現状の大学教育においては,本格的なメディシナルケミストリーを学習する機会はほとんどないのではないかと思われる。従って,新入社員はオンザジョブトレーニングで習得する必要があるが,その習得には数年を要する。

 このように,「有機合成化学を志す学生は忙しく,また企業の研究所に職を得た後も忙しい」というのが現実であろう。このような中で,優秀な学生あるいは若手研究者は黙々と先生や上司の方針を具現化し,研究成果を上げている。しかし,その一方で忘れられがちなことは,言われたことを黙々とこなしていくだけでは,研究者として将来自立していく能力を身につけられないのではないかということである。また,その後の研究者としての競争に勝ち抜けないということである。いかに個性を発揮し,他人と異なることができるかということが研究者として大成できるかどうかを決定づける。言い換えると「自ら考え,自ら行動できる研究者」たり得るかどうかである。これは大学の研究者だけの話ではなく,企業の研究者においても言えることである。端的に言えば,研究者と研究労働者は異なるということである。「言うは易く,行うは難し」であるが,若手の研究者には「自ら考え,自ら行動する」ことを心掛けて頂きたい。そうすれば,必ずや道は開け,有機合成化学そして創薬の醍醐味を味わうことができるであろう。

(2006年11月14日受理)
ページ更新日
2011年11月4日