公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

有機合成化学の進歩を思う時
只野 金一


 昨年末に一念発起して大学居室にある古書の整理をした。古書とはいえ,科学書を捨てるには大いなる決断を迫られ,最後は「内容はもはや最近の科学から見て時代遅れ」と判断され「廃棄物」となる。その作業の最中,有機合成化学協会誌32巻10号(1974年)が出てきた。協会誌だけは,1977年以降のバックナンバーが手元にあるが,それ以前のものはこの一冊だけであった。今から33年前の1974年,筆者は博士課程3年生であった。今日まで筆者の手元にあったこの一冊は,「有機合成における考え方」-有機合成の合成デザイン-をテーマとしたその年の特集号であり,17編の論文より構成されたものである。まず「天然脂環式化合物の合成を基にした有機合成のデザイン序説」と題し,目 武雄氏(阪市大理)(以降各先生を「氏」で記し,所属先は当時のもの)が執筆されている。目氏については,協会誌本年度1月号の巻頭言で鈴木啓介氏が触れられている。その特集号の内容を紹介するのが,本巻頭言の主旨ではないがいくつかの論文題目と著者を挙げてみる。「天然物の合成雑感」入江寛氏(京大薬),「新しい反応と合成デザインについて」山本 尚氏/野崎 一氏(京大工),「特異的合成反応」向山光昭氏(東工大理),「遷移金属化合物を用いる有機合成反応」辻 二郎氏(東工大工),「酵素を用いる合成デザイン」木下祝郎氏(協和発酵工業),「酵素モデルの合成デザイン」田伏岩夫氏(九大薬),「不斉合成」阿知波一雄氏(東大薬),「アルカロイドの合成」大石 武氏(北大薬),「ふぐ毒テトロドトキシンの合成研究」岸 義人氏(名大農),「テルペン系生理活性物質の合成」森 謙治氏(東大農),「コンピューターの限界について」大野雅二氏(東レ基礎研),などである。懐かしさも手伝って,これらの著名な方々の若かりし頃の寄稿を読み直してみた。読み進むうちに,当時はasyrnmetryに対して「不斉」と「不整」が混同して用いられた時代であったことにも気付いた。そして「立体化学の表現の古めかしさ」こそあれ,今日なお有機合成化学者が関わっている「解決されるべき幾つもの命題」の提起が,これらの論文においてなされていた事実に驚かされた。

 近代科学技術の進歩を思う時,「33年の歳月は決して短いものではない」ことは,どなたにも異論はないと思う。例えば,「情報共有」のための手段としてのコンピュータ科学の進歩は,近代科学技術の象徴的存在である。この分野は加速度的に,教育者,研究者そして学生の学問研究の進め方に影響を与え続けている。その結果,「現代の学生は情報過多に喘ぐ」ことになる一方,図書館にこもり先人の研究成果を求めて国内外の雑誌を読み漁り,興奮する学生の姿は貴重な存在となった。現代の学生は,先人の成果を苦心して入手する大切さとそれを理解することの嬉しさ,誇らしさを実感できなくなっている。「コンピュータを活用する有機合成の威力」を,研究者が認識しはじめてから40年近くを経た今日,個々の研究者にとって有機化合物の合成デザインのための情報量は,処理しきれないほど膨大なものとなっている。情報量のみから推察すれば,「あらゆる合成反応を論理的かつ効率的に,予測かつ制御でき得る」理想点に,現代の有機合成化学が到達していることすら必然に思える。しかし,現実には有機合成化学は「やってみなければ,何が起こるか判らない面白さ」がある分野であり続け,その事実をもって教員は学生を勇気づけている。

 筆者は本年2月まで2年間協会誌の編集業務に携わった。この間,「時代をリードするに足る協会誌の在り方」を考えた。その過程で,昨年度(64巻)の特集号のテーマとして「生体機能の解明を指向した有機合成化学」を企画した。一方,天然物合成の方法論に関する寄稿論文が目立った前述の特集号(32巻)は,協会誌の歴史上今日に至る折り返し点に位置した。天然物合成のもつ芸術性と醍醐味を実感しつつ約30年の教員人生を過ごした筆者は今,「天然物合成のその先」を意識させられる時代に居る。「革新的方法論の開拓」を中心に据えながら,「ケミカルバイオロジーや材料科学とのかかわり合い」を例とした,「合成する意義への新規な展望」を積極的に意識して研究することも,今後の有機合成化学者に課せられた重要な課題であると日々思う。

(2007年3月28日受理)
ページ更新日
2011年11月4日