公益社団法人有機合成化学協会 SSOCJ - The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan

豊かな明日を創る有機合成

巻頭言

少し余裕を!
大寺 純蔵


 大学を取り巻く情勢は大きく変わりつつあり,研究環境は厳しくなる一方である。国立大学では独立法人化後,外部資金なしでは研究ができなくなっている。まさに「金の切れ目が研究の切れ目」である。しかも,研究費は当然のことながら業績を挙げた人には厚く配分され,多くの資金を得た人にはそうでない人より業績を挙げるチャンスが増える結果,いわゆる二極化が起こる。私学にいたっては,状況は一段と厳しく,研究どころか存立の危機に曝されている大学も少なくない。この二極化傾向については意見の分かれるところであるが,私は従来の悪平等主義よりは良いと思っている。これまで,研究の公平性,独立性という美名のもとに多くの無駄金が浪費され,しかもこれらについて見て見ぬふりをしてきた我々が,突きつけられた競争原理に反論しても迫力はない。従って,実績を積んだ(あるいは優れた業績を挙げるであろうと判断される)研究者に重点的に研究費を配分することに異論はない。しかし,最先端の研究も広い裾野があって,はじめて成り立つことを忘れてはならない。大学からの研究費配分が実質上無くなり,科研費が当たらないと研究を続けられないという悲痛な声を多くの研究者から聞く。そこで現在約20%である基盤研究,特定研究の採択率を30%に引き上げることを提案したい。これらの研究は3年間の研究期間を申請できるので,毎年30%の人が科研費を獲得できれば,平均的にコンスタントに最低限の研究費を確保できることになる。勿論そのためには財源を増やす必要がある。もしそれが当面難しいのであれば,大型研究費の一部を削減してこれに充当してはいかがであろうか。競争原理と基盤強化,あえて二兎を追う必要があるのではないか。

 さて,このような厳しい環境下では,おのずと人々から余裕が失われていく。ここでは有機化学の大先輩にまつわる2つのエピソードを取り上げ,半世紀以上前の古き良き時代の雰囲気を紹介したい。最初の話は,今はなきA大先生と.その弟子で今もお元気なB先生(両先生とも名前を聞けば誰でも知っている著名な方である)の話である。ある日,A先生のお宅に当時助手であったB先生を含む研究室の関係者が夕食に招待された。宴もたけなわとなったところで酔っぱらったB先生が突如「こんなまずい料理がくえるか!」と叫び,A先生の奥様が泣き出したとのことである。B先生に直接問いただしたところ「そんなこと言った覚えはない」とおっしゃっているが,同席した人の証言によると間違いないらしい。B先生にはこのほか研究室でA先生にお茶くみをさせたとかいろいろ武勇伝が残っているが,その後,A先生からお咎めを受けることもなく無事教授になり,学部長も勤め上げられた。A先生の度量の大きさ,B先生の憎めない純な人柄がこのような師弟関係を築かせたのであろうが,やはり心にゆとりがなければ2人の関係はうまくいかなかったのでは,と思う次第である。

 次は戸田芙三夫先生から聞いた話であるが,今度は差し障りがないので実名で記述する。戸田先生の学生時代,当時阪大教授であった村橋俊介先生(村橋俊一先生の御尊父,今年100歳でご健在)と時折通学の電車で一緒になったそうである。ある日乗り合わせた車内でたまたま会話がとぎれてしばらく沈黙が続いたので,話題に事欠き,つい「今日,私は風邪を引き体の調子が良くありません」という言葉が口をついてでてしまった。勿論,風邪は引いていなかったのであるが,駅を降りると,村橋先生「今日は君の体調が良くないので大学までタクシーに乗ろう」と言ってタクシーに乗せてもらったが,道中戸田先生ありがたいと感謝しつつも,なんとも居心地の悪い思いをしたとのことである。戸田先生は村橋研の学生ではなく,ただ村橋先生と同じ学科に属する一学生に過ぎなかったのであるが,この話は往時の先生と学生の間に通じあう自然な関係を彷彿とさせる心温まるエピソードである。

 昔は今より良かったなどと言うつもりはさらさら無い。むしろ旧体制的風潮がまだまだ幅をきかせていた時代であるが,一方では包容力豊かな研究者,教育者がおられたことも事実である。私にはとても及ぶところではないが,環境が厳しくなればなるほどこのようなゆとりを忘れないことが大切になってくる。最後に,無断で昔の出来事を暴露してしまい,B先生,ごめんなさい。

(2007年6月28日受理)
ページ更新日
2011年11月4日